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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■わたしのジェンダー観;少子化問題について
★1・わたしのジェンダー観
★2・少子化問題について
★3・ところで(Re:わたしのジェンダー観)
★4・Re:わたしのジェンダー観(7/20補足)



★1・わたしのジェンダー観

ジェンダーは世界最大の暴力装置である(蔦森樹)という論文を読みました。
わたしにとっては「暴力装置」「性は限りなく実体化した可変概念」などというごつごつした言葉がなじめない印象なのですが、どうやら言いたいことはほぼ同じらしいです。

わたしは、少なくとも20世紀まで、多くの人々の間で「常識」と思われることが多かった「性別=男か女かの二つに一つ」という概念は、性に対する思考が未分化で大ざっぱだったから、と考えています。
わたしには理由はよくわからないけれど、どうも人がものごとを考える時に「二項対立」で考えることが多い、という傾向があるような気がします。
本当は「二項」というほど大ざっぱではなく、確かに「両極端」はあるかもしれないけれどその中間もある、というのが現実です。
しかし、それをそのとおりに受け止めて考えるのが「大変」というかそこまで考えるだけの思考の精密さが、少なくとも20世紀いっぱいまでは不充分だった、ということなのではないでしょうか。

わたしの頭の中には、「性のあり方」を示す図として「つり橋」のイメージがあります。
つり橋の両端にある柱が「典型的な男/女」です。
ただし、実はこの「典型」は実態ではなく一種の「幻想」で、現実には存在しない、と考えます。
現実に存在する「性」は、両端の柱に結び付けられた「ロープ」です。
ロープのそれぞれの端が柱にぐるぐると何重にも結び付けられているように、現実の性も柱に密着するように存在する部分がいちばん長くて量も多い。
でも、両端の柱の間には、1本(から数本)のロープがずっと渡されています。
ちょうど現実の橋のロープが真中に行くほど低くなり、両端に近ければ近いほど高くなるのと同じように、両端に近づくほど人数は多く、真中に近いほど少なくなっています。
両端を結んで渡されるロープにあたるのは、典型的な男女ではなく「非典型的な性」なのです。

20世紀までは「♪男と女の間には深くて暗い河がある」などと歌われたように、河の両岸を結ぶ橋がなかった、または橋があるということが認知されていなかったのだろうと思います。
けれど、実は途中につり橋があったのです。
たまたまそれを知っている人がいなかったり、いても大きな声で「ここに橋がある」と言わなかったりしたのでしょう。
この掛け橋を往復すれば、もっともっと男女相互のことが理解できるようになる、とわたしは思います。

掛け橋の途中のロープを形成している人々は、同性愛(人口の3〜5%)やインターセックス(同じく0.05%)、性同一性障害(0.01%)と言われているように、とても少数の人たちです。
もちろん、決して(わたしも含めて)このような人々=セクシュアル・マイノリティをあげつらってほしい、というわけではありません。
でも、セクシュアル・マイノリティの人々を理解し、受け入れることのできる「常識」を多くの(少なくとも95%以上の)人々が持つことができるようになれば、古臭くて強制的な「ステレオタイプ・ジェンダー」にがんじがらめに縛られて不本意な一生を終える人が減って、多くの人々がより幸せに生きていけるようになるのでは、とわたしは思います。

おそらく、人間以外の動物では典型的な「雄/雌」のどちらにもあたらない性を持つ個体は、それなりに受け入れられたり受け入れられなかったりしているでしょう。
ただ、人間の場合、それをある程度理屈つけて考えないと受け入れる思考ができない……あ、否定文じゃ嫌なので、言い直そう。
人間の場合は、思考によって非典型的な性を持つ人々のことを受け入れるだけでなく、典型に近い人々自身もより豊かに、幸せになれるはず、と思っています。

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07月19日(月)
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