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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■うう〜ん、やっぱり宝塚はいいなぁ〜
『NHKスペシャル』で、タカラヅカ(宝塚歌劇団)のことを取り上げているのを見た。
ああ〜〜〜、あれ見ていると、ついつい入り込んじゃうんだよね〜〜〜……っていうか、
それにハマってしまう自分が嫌で、いつもはできるだけ見ないことにしているくらい。
だってさ…… 「ベルばら」やってた30年前は「男の体であんなことできるわけない」と思ってたし、
本当はわたしもあんなふうにキラキラした衣装をつけて、
素敵な歌や踊りがやりたい、なんて思っているなんて、
誰にも言えないじゃないの。
でさ、ようやく女の体になれたと思ったら、もうとてもじゃないけど
宝塚に入れるような年齢じゃなくなってしまっていた。
太ってきちゃったし。
なんで15歳で性転換できなかったんだろう、なんて思ってしまうわけ。
わたしが「女優」だの「ミュージシャン」だの「作家」だの言って騒いでいるのは
元を正せば宝塚への憧れ、そういうものを(見習うのも無理だから)自分なりに追求したい、という
欲求からだったのかもしれない。
っていうか、そうとしか思えなかったりして。
そんなに影響大きかったのか…… 自分でもわからなかった。
自分のことがよくわからないのは、いけなことだと思う。
自分をないがしろにするなんて。
自分の思いを大切にできるのは、自分だけ。
他の誰も、わたしに代わってわたしのことを大切に考えてくれることなんか、できない。
親は自分よりも子どものことを先に考える、なんていうけれど、
それもとんでもない思い違いだ。
親は自分の都合のために子どものことを考えているに過ぎない。
所詮自分の価値観でしか考えられないのだから、それが本当に子どものためになるかどうかなんて
わかるはずがないし、
自分の価値観すらなければ、それはいいかげんにしか考えていないのと変わらない。
たとえ子をもつ親でも、自分の考えが自分勝手なエゴイスティックな思い込みでしかない、という
限界をわきまえた上で自分の考え、価値観や判断を子どもに伝えていくべきだ。
それは決して、自信のない、あやふやな態度とは違う。
限界を知っているからこそ、穏やかであることができるのだろうと思う。
ああ…… 思い出すなあ……
あれは確か、1974年の冬休みか春休み(?どっちかわからないけど、
もしかしたら1974年の終わり頃のことだったのかもしれない)。
学校がお休みだったので、昼間NHKで放送された宝塚の舞台を、最初から最後まで見た。
「ああ、わたしもあんなふうに美しくなって、歌ったり踊ったりしたい」
と、さんざん思ったし妄想しようとしたけれど、
「おまえの体じゃ無理だよ」
という冷めた声も、どこからか聞こえてくるようだった。
その頃(確か中2ぐらい)にはもう身長が170cm前後あったし、体はどんどん男っぽくなっていってしまうのだった。
(今思うと、あの頃「なんでこんなふうになっちゃうの!?」と困惑していたのよりも
更に男じみた体になっていってしまったので、
まだまだ甘かったんだよね、きっと)
あの頃に自分の望みがかなえられる可能性がある、とわかっていたら、
わたしはもっと素直に生きることができたに違いない。
もう、仕方ないんだけどね。
↑1976〜77年頃の「原案帳」みたいなウダウダした内容になってしまった。
ま、いいや。あの頃の虚無に、今浸ってみるのも、ね。
(そうそう、あの頃って「虚無」とかそういう言葉が好きだったなあ……
最近流行りの「ゴス・ロリ」とどこか似ているかも?)
07月12日(月)
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