ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「罪を憎んで人を憎まず」
★1・罪を憎んで人を憎まず
★1・罪を憎んで人を憎まず
DV加害者の掲示板入り口
http://www.jackies.jp/dvbtr/index.htmlに、こんなことを書き足した。
以下引用---------------------------------
最後に。(管理人より問題提起)
罪を憎んで人を憎まず
暴力加害は間違いなく「加害」です。
それに何かの理屈をつけて言い訳することは、一切許されません。
しかし、だからといって加害者の全人格を否定してしまうことが、「加害者ではない」「被害者だ」という立場の人たちに許されるのでしょうか。
確かに、自分自身に対して許されざる加害をした人に対して「死ねばいい」とか「一生苦しめ」とか強い憎しみを持つのは無理もないことだと思います。
でも、それを「加害者」と呼ばれる人たち全てに当てはめて憎んでしまってもいいのでしょうか……?
このことは、いろんな意味合いで掲示板上で議論するのに相応しいことがらだと思います。
多くの方がご意見をくださるのを心待ちにしています。
わたし(管理人)自身の苦しみに答えを見出せるためにも、お願いいたします。
---------------------------------以上引用
思うに、加害者の加害そのものは、どんな事情があろうと厳しく断罪・処罰されなくてはならないと思う。
けれども、それにつられて加害者の全人格や存在そのものまで否定することは許されるのか。
わたしは、それが許されているのは、直接加害者から暴力などの被害を被った、被害者本人だけなのではないかと思う。
被害者が、自分の体や心や財産などを滅茶苦茶に破壊した相手に対して
「今すぐ死んでほしい」
「いや、安易に死んだりせず、長生きして生きている間中、自分が味わったのと同じ苦しみを味わいつづければいい」
などと思うのは、至極当然だと思う。
わたしも、自分への加害者に対しては、それに近い気持ちを抱くこともあるから。
(やっとそこまで回復してきた)
もちろん、憎むことが許されているからといって、被害者が自力で加害者に対して報復するのはどうかと思うけど……
(今度は被害者だったはずの人が加害者になってしまうかもしれない。それじゃ加害者の暴力は「連鎖」してしまったことになる)
その被害者が、自分に対する加害者ではない他の人への加害者に対して
「おまえは自分に対する加害者と同じ種類の人間だ。おまえもわたしに対する加害者と同じように死ね、あるいは一生苦しめ」
とまで言うことは許されるのだろうか。
加害は加害。
それは決して許されないこと。
でも、加害そのものを加害者の人格全般に結び付けてしまうのは、もしかしたら加害者に対して「甘い判断」をもたらす危険性を含むのではないか。
加害者に良い面があったら、それに引きずられて加害そのものまでが、まるで「悪くなかった」ということになってしまうかもしれない。
これは、被害者にとっても救いから遠ざけられることだと思う。
「変えられないものと変えられるものを区別する知恵を」
というセレニティ・プレア(平安の祈り)にならって、
「加害は加害。他にどんな良いことをしている人だとしても、加害は断罪すべき。
けれども、全ての加害者の全ての人格を加害と結びつけるのは危険。
この二つを区別すること」
ということを、被害者も、また加害者も認識する必要があるように思う。
「加害によって自分の全人格を否定されている」と感じている加害者は、きっと再犯する可能性が高いと思う。
「誰も味方がいない、みんな敵だ」と思っていれば、「敵」に対して攻撃的になるのは当然だと思う。
もちろん、他人を敵に回してしまうのが、実は自分の他人に対する姿勢に問題がある、ということに一刻も早く気付くべきだと思うけど。
そうしないと、その人はいたずらに身を滅ぼしてしまうだろう。
そうして、それは確かにその人の「人格の問題」だと思うけれど、それでもなお、その人の全てが否定されてもいいとは思わない。
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09月02日(火)
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