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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「家族と共に生きるGIDの会(TFN)」設立フォーラム
詳しいことはまたいつか書くかもしれないけれど、今は「参加した」とだけ、ひとこと書いておきます。
わたしだって、男性としてでなければこの世で生きていくことはできないだろうと思うから、必死だったんだから。
結婚すれば男になれるだろう。
子どもができれば男になれるだろう。
それらの思いは、自分の心の奥底から湧き出してくる、意地悪なつぶやきによってことごとくだめにされてしまいました。
「自分が女だと思わなければセックスもできないくせに」
「本当は自分が産みたいって思ってるくせに」
でも、思い起こせば、はっきりと自分が性同一性障害であることを自覚したのが1998年だから、あれから5年。
大切な彼女と離婚してでも女に戻ることを決意したのが、一人きり真っ暗な部屋で過ごした1999年暮れ〜2000年のお正月。それから3年。
この体をどうにかしたければ、わたしのように「婚姻暦あり、子持ち」のような「中途半端な人間」はニューハーフにでもなるしかない、と考え、飲めないお酒や嫌いな煙草にまみれて働きながら、なんとかしてママの心象を良くして紹介してもらった。
自分なりに勝手に「ガイドライン」に沿ったかたちで治療を受けなくては、と、精神科・内科・産婦人科・形成外科、それぞれを受けていたおかげで、改名の申請の際にはそれぞれから「診断書」「治療証明書」をいただくことができた。
駆け抜けた5年間だった。
その間、精神的な抑鬱状態から、何かというとすぐに引きこもってしまって身動きができなくなってしまっていたけれど、それもかなり改善してきた。
そして、今、わたしは社会に向けて最後の難関、「性別の訂正」の問題を問うている。
きっと、わたしが性別訂正できるとしたら、早くても5年、遅ければ10年先のことになるだろう。
もしかしたら、死ぬまで無理かもしれない。あまりそうは思いたくないけど。
でも、わたし自身の問題であると同時に、この世……っていうとなんだか仏教みたいなので、少なくとも日本の社会の中で、わたしが小児期〜青年期までを過ごした時代のように、性同一性障害や性転換のことを「社会の裏の面、陰の部分」というような恐ろしい差別で扱うことのなくなる日が来ることを、心から祈っている。
差別は、無知と恐怖からできている。
わたしは、少なくとも、多くの人が放置している「無知」を、そのままにしておきたくはない。
知らないからといって、心に抱える問題を侮辱されてもいいことにはならないからだ。
現代において、目の不自由な人が「前世の行いが悪かったせいで罰を下されたのだ!」とか「目の見えない者のできる仕事なんて決まってるだろう」とか言われることがないのと同じ程度にはなってほしい。
わたしは忘れない。
わたしに洗礼を授けた牧師が、わたしに向かって
"Transsexual is a sin!"
と断じたことを。
このような無知を、放置してはいけない。
(これは「報復」か? いや、少なくともアメリカ人のように相手の存在そのものを否定するような卑劣なやり方は、わたしはしない。相手の心の窓が開いて、今まで暗黒のままに放置されていた新たな知識を自分のものにしてもらうだけだ)
06月22日(日)
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