ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■性同一性障害を考えるフォーラムinしずおか、本日開催!! (+6/21追加記事あり)
とうとうやってきてしまいました。
いったい何人くらい来るのでしょう……?

宣伝不足。
内容まだ詰めが甘い。
あれはどうなった、これはいいのか。

……
まあ、いいや。
なんとかなるデショ。

では、準備をしてGO!
[8:46 03/06/14]



[7:24 03/06/21]←ゴメン、今ごろになってつけたし。
開催してみて思ったこと。

・参加者49名(打ち上げのみ参加の方1名も加えると、ちょうど「50名」!)

・全体的に当事者よりも支援者や全くの一般の方の参加のほうが多かった
 ↑でも、当事者「だけ」の集まりにしたら、いったい何人集まったのやら。

・↑のこととも関連して、確かに当事者どうしの自助グループ的な活動も必要だし、その場合は当事者のプライヴァシーに配慮してクローズドな集まりにしなければならないだろう。

 けれど、わたしはできる限り、当事者ではない人たちが、少しでも当事者を「見る」「知る」ことが、これからは大切なのではないか、と思う。

 わたし自身もあまり「障害者」と思われるのは嫌だけれど、考えてみたら「男に見えるのに本人は女だと思ってるし女みたいに振舞おうとしている(またはその逆)」というのは、どうしても何も知らない人から見れば「異様」だろうと思う。

 それは、ちょうど……って引き合いに出すのはその相手に失礼なのかもしれないけれど……身体障害があって体の動かし方が障害のない人とはちょっと違う、という人が、何もわかっていなければやっぱりたぶん「異様」に見えてしまうだろう、というのと似ているような気がするのだ。

 あるいは、今ではそんなことはほとんどないけれど、目の不自由な人が差別的な言葉を浴びせられた時代だってあった。

 今では「体や心に障害のある人を差別するのはとても良くないことだ」という一般的な「常識」があるから、あまり露骨な差別はないのだろう。
 でもきっと、障害者と今までに一度も接したことのない人が初めて障害者に出会ったら、一瞬「うっ」と引いてしまうに違いない。
 それを克服するには、その障害者自身をよく「知る」ことが不可欠なのだ。

 今でも、世の中には障害者に対する差別的な気持ちを克服できない、すごく皮肉な言い方をすれば「気持ちの障害」のある人は少なくないだろう。
 「だって生理的に気持ち悪いんだもん(=それは変えられない)」
 ある掲示板で、そう書いている人がいるのを見て、考え込んでしまった。
 っていうか、その言葉じたいには、わたしはすごく傷ついた。
 でも、その人がたとえばわたしをターゲットにして悪意で言ってるとか、そういうことじゃないのもわかったので、じゃあどうすればいいんだろう、と考えてしまったのだ。

 で。
 サルの子は、親から教わらなくてもヘビを見れば恐怖に駆られて泣き声をあげ、親の助けを求める。
 人間の子は、性同一性障害の当事者を見て、やっぱり気持ち悪がるのだろうか。
 ……っていうか、人間の場合、事情が違うのではないか。

 たぶん、黒人を一度も見たことのない人がはじめて目の前で黒人を見たら、その肌の色を「異様だ」「気持ち悪い」と思うだろう……かもしれない。
 気持ち悪がらない人もいるかもしれないけれど。
 それは、その人が黒人を知らないからなのではないか。

 ほんの百数十年前まで、白人種の人が日本では「毛唐」といって気味悪がられていた。
 もちろん、最初から気にしない人もいただろう。
 先天的なのか、育っていくうちに差別しないセンスが磨かれたからか、それはわからない。

 今では、白人を「気持ち悪い」と思う日本人はかなり少ないだろう。
 全くいないとも思わないけれど。

 で! (もういいから早く結論書けよ>自分)
 人間って、「生理的嫌悪感」でさえ「知性」「理性」によって変えることができるのではないか?
 性同一性障害当事者に対して「生理的嫌悪感」のある人たちがいるとしたら、その嫌悪感を取り去る努力をするべきだと思う。

 <わたしの持論>

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06月14日(土)
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