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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■早起き 平和のためのイベント

そうそう。今日の日記を始める前に。
20030527・市議会・議員控室挨拶回り 他
もつい今しがた書いたところなので、お読みくださいm(__)m
★1・早起き
★2・「平和のための戦争なんて…」
★3・「家族制」
★4・お見舞い


★1・早起き
今日は早めに目が覚めた。
珍しく、弟の朝ご飯を作った。
(Fくん、今日は会社がお休み)
しばらくテレビを見た。
もらったメールについて、あれこれ考えている。

……あ。眠い。
寝直しちゃおうかな……(こらこら)
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★2・「平和のための戦争なんて…(ありえない!)」
今日、ソロ歌手の大島優美子さん(漫画家じゃなくて)が発起されて、
ブッシュがイラクに対して起こした戦争について反対の立場で
音楽と朗読で構成されたイベントが開催された。
この記事のタイトル「平和のための戦争なんて…」が、そのイベントのタイトル。
副題:「あきらめない 演劇は非戦の力」
 イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会、による台本より再構成

前半は、ほとんど泣きっぱなしだった。
わたしは、小さい頃に父親からベトナム戦争の「北爆」の恐ろしさを叩き込まれて育ったので、
戦争に対してはたぶんとても健全な感情を持っていると思う。
(そういうところは父親に感謝している)
……つまり、「戦争は嫌いだ。恐ろしい」と思っているのだ。

わたしは、あの「演劇人」の人たちが言っていたのと、ほとんど同じ気持ちを持っている。
どんな理由があろうとも、戦争はしてはならない。
殺しあってどちらかが生き残るよりも、仲良くして共倒れになるほうがましだと思う。
大量破壊兵器を敵に向ける側ではなく、それが落ちてくる側のことを常に想像し、
そこで暮らし、そこで殺されてしまう人々に共感する。

生まれなかった子どもをわたしが「殺した」ことにされただけであんなにショックなのに。
わたしは仮に「平和のための戦争」で、とてもまっとうな正義が自分の側にあって、
「テロを防ぐ」という理由のためのミサイルのスイッチを自分が押すことになっていても、
やっぱりそれが落ちて死んでいく人たちのことを思うだろう。
そうして、それはわたしの心に癒すことのできない傷を残すだろう。
その傷はわたしを蝕み、社会に言い知れない不安や恐怖を撒き散らすことになるだろう。

そんなの、絶対に嫌だ。

戦争は、憎しみを拡大再生産するだけだ。
自分の大切な人を殺されてそれが決して許せないと思っても、
わたしは決して自分から相手を殺そうとはしないだろう。
わたしが相手に「報復」したとしても、今度は報復された相手の身内が
わたしに対して強い憎しみを抱くことになるだろう。
わたしは憎しみの連鎖の中で自分を消耗し、死神か幽霊か、
どっちかのように生きなければならないだろう。

残念だけど、ブッシュはもうそうなっている。
彼が憎しみの連鎖を解くことはできるのだろうか。
彼が生きている間は不可能なのではないか。

人間はとても弱いものだ。
許す力が弱いのだ。

わたしは、強い力で人を憎むなんていう自信はない。
報復なんか絶対にできないわたしでよかった、と思う。心から。

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ところで、話は変わるけれど、今日のステージはわたしにとって、とても「懐かしい」ものでもあった。
わたしはほぼ20年前(もうちょっと前かな?)に、同じように歌唱(主に合唱だったけど)と朗読で構成された
「合唱組曲」を演奏していたのだ。バックバンドのベーシストとして、だけど。

その「合唱団」は、はっきり言って力量的にはとても下手だった。
だから、今回みたいに多くの聴衆を集めて、集まった人たちを感動させるほどのものになったことは、
数えるくらいしかなかった。
(合唱+バンドと語り、という形式で、
1945年3月9日の「東京大空襲」を扱った物語『ガラスのうさぎ』を演奏した時には、

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05月28日(水)
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