ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■歴史の中の人生 / ジェンダーと「シュミ」 / 他
★1・歴史の中の人生……
(★2は「略」なので本文なし)
★3・男の「シュミ」に女の子を付き合わせる、ということ
★4・私が全て悪い。
★5・レポートは早めに。
★1・歴史の中の人生……
「とあるところ」への書き込みより……
(レスになっているところは加工)
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(レス略)
>西暦で観なければ、歴史の中の親の人生も見えてきませんよね。
うう、私それ実感(^_-;
何度も書いてるけれど、父「明治43年」母「大正9年」私「昭和36年」では
何歳離れているかもわからないんですよね(^^;
(レス略)
たとえば「1910年生まれ」の私の父の人生を歴史に重ねて追ってみると、
0歳(1910):韓国併合
2歳(1912):「明治」から「大正」に改元
2〜16歳(1912-1926)「大正デモクラシー」の中で少年期を過ごす
(この間、父が10歳のときに母が生まれる)
13歳(1923):関東大震災(ただし、当日父がどこにいたかは聞いていない)
16歳(1926):「大正」から「昭和」に改元
徐々に軍国化していく時代の中で思春期を迎える
21歳(1931):満州事変勃発〜満州国成立
23歳(1933):日本、国際連盟脱退
大学卒業するが、すぐには就職できなかったらしい
(「『アラスカ』というレストランでアルバイトした」とか言ってたし??)
25歳(1935):最初の結婚
26歳(1936):2・26事件
長子(=私にとってはいちばん上の兄)誕生
27歳(1937):日中戦争起こる
28歳(1938)、第2子(=次兄)誕生
31歳(1941):真珠湾攻撃〜太平洋戦争勃発
32歳(1942)、第3子(=姉)誕生
35歳(1945):広島・長崎に原爆投下、太平洋戦争終結
地元都市への空襲の中で妻が行方不明になり、
父(=私の祖父)と母(=祖母)を喪う
男やもめのように、残された3人の子を育てながら働く
いったんは行方不明になった妻を死んだものとして葬儀を出す
(その後、確か1950年代の初め頃に妻が実は生きていて、
遠い親戚の家に身を寄せていることが判明。←正確な事実はよく知りません
このとき正式に離婚)
(「妻」=私の兄や姉のお母さんは、実は空襲のどさくさにまぎれて
父の「暴力」から逃げ出したらしいです)
……
48歳(1958)、再婚
51歳(1961):日米安全保障条約(新条約)発効
第4子(=私)誕生
翌年、第5子(=弟)誕生
……
(きりがないのでやめます)
私が過ぎている年齢のことを思うとき、
父が私のその年齢だった頃にはどんなことがあって、
そのとき父はどんなふうに感じたんだろうなあ、などと
よく空想します。
「歴史は繰り返す」ので、よく似た事件が50年の時を経て
まるでトラウマの再演でもあるかのように起きますけれど、
(例:韓国併合と安保条約更新、とか)
ちょっとずつ違うのが「面白い」です。
(例:太平洋戦争とオウム=思想統制事件+阪神大震災=大災害など)
むしろ、違う事件であっても、それを受け止める世代がたまたま「同じ」であれば、
感じ取るものごともまた似ていたのではないでしょうか……
多くの人にとっては、こんな「牽強付会」は「絵空事」にしか思えないでしょう。
でも、私は、私の「初恋の人」、父への思いを、
こんなふうに重ねようとしているのでした。
父の思いを思いたい、という気持ちによって……
歴史への理解なしには父の思いも理解できないなんて、
なんだかちょっとさびしいし、もどかしい気もするのだけれど。
(以下略)
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★2
略(このページが存在することを旧「原案帳」で告知しただけ)
★3・男の「シュミ」に女の子を付き合わせる、ということ
とあるところへの書き込み:
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それにしても、「過去のこと」にしてしまいたいけれど、
「ボクのシュミを理解してくれるっ!! =『ナカマ』だっ!!!!」
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11月14日(水)
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