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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「ジェンダーフリー教育反対」だと!?
このことを考慮して、新潟県白根市立茨曾根小学校では、男女混合名簿を廃止しました。
(むしろ「家制度」イデオロギーからなのではないか。)
3、国立市で男女混合名簿が始まり、定着した理由。
国立の学校で、どうして男女混合名簿が始まり定着したのか、その理由について、多摩島嶼地区教職員組合国立支部女性部は次のように述べています。
☆国立市における勤評闘争、主任制反対闘争の歴史が、民主的学校運営に影響を与えたこと。
☆反管理・反差別を原則とする組合運動が生きて機能していたこと。
☆組合の運動方針として上からの通達に一切従うことなく、教員主導で、教育委員会、学校指導でないこと。
☆名簿に限らぬ混合名簿、男女平等教育の実践があったこと。
☆混合教育と、市民の日の丸・君が代反対闘争とドッキングできたこと。
教員組合のこのような活動のなかで、教員は平成2年に、日教組全国教研集会で「混合名簿の実践から見えてきたこと」を発表。また、東京教組教研集会で「男女混合名簿から見えてきたこと」を発表するなど、朝日新聞の報道とあいまって、国立の混合名簿による教育は全国へと広がっていきました。
教職員組合国立支部女性部が述べたように、国立の学校における男女混合教育は、組合運動として教員主導のもとに行われて、定着していったのです。法規に基づいて適正に行われるべき公教育が組合運動のもとで、ジェンダーフリーと言う片寄った思想の教育が行われたことは、由々しい問題で、子供たちの人格形成に大きく影響します。国民の間に教育の理念や目的について意見の対立がある場合、議会制民主主義のもとでは、国権の最高機関である国会で制定された法律こそ、国民の一般的な教育意思が表明されたものです。公教育を行う学校はこの法律に基づいて教育を行わなければなりません。
学校教育法の示す教育の目的、学習指導要領の示す教科の目標から著しく逸脱していて、過激な思想に基づくジェンダーフリー教育と、その思想を具体化した男女混合名簿は、教育基本法第10条の政治的中立の規定に背くものであり、教育法規に基づいて教育を行う学校では行ってはなりません。
(ジェンダーの分野が、国会でも法律でも特に立ち遅れた日本だからこそ、現場主導で変革がなされていったのであって、法律を無視しようなどという意図はないはず。
↑の部分には、いかにも「組合=過激思想の集団=悪者」が「社会の混乱のための手段」として「君が代・日の丸反対」やジェンダーフリー教育を進めてきたかのような書き方になっている(あれもこれもごっちゃにするな!!)。
なんて偏向した、過激な感性なんだろう>陳情者
陳情書を書いた人の過激なイデオロギーのほうが、よっぽどこんにちの社会に混乱を来し、子どもたちに悪影響を与えるだろうことは、想像に難くない。)
子供たちにとって、小・中学校の時期は人格の基礎を培う大事な時期であり、二度と繰り返すことの出来ない掛け替えのない時期です。この時期にどのような教師に巡り合い、どのような教育を受けたかは、子供たちのその後の人生に大きな影響を与えます。人心無垢な子供たちの人生を誤らせてはなりません。
(これもよく「右」(←実は冷戦終結後は存在の意味を失っているんだけど)の人たちの言うことだけど、確かに一見もっともらしい。
教師が最低限の資質を備えていない中で教育を受けることになるのは、子どもたちにとって不幸といわざるを得ないだろう。
でもさー……
そういう考え方が度を越すと、人それぞれの持つ多様性を否定することになるんじゃないかなあ。
それぞれの個性をもつ教師(当然、教員資格に見合った最低限の資質は絶対必要だけど;セクハラしない、とか)と、同じくさまざまな個性を持つ子どもたちが、たまたま一つの教室で出会う。
それから1年(なりもっと長い期間)同じ教育空間を共有する、ということを、「こんな教師じゃダメだ」と否定的に見るのではなく肯定的に見守っていくことこそ、子どもたちにとって最善の教育の場を提供することになるのではないか。
陳情者にはそのことがわかっていないのではないかと思うと、心寒い気がしてつらい。)
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09月26日(金)
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