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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■ひさびさに萩尾望都♪(+宝塚)
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こんにちは。東海のヌーです(笑)
早いもので「ユーリ(7月)」もあと残すところ数日ですね。
30日(水)には静岡市でライブを……とか書くと、また管理人さんから「関係ない私信は止めなさい」と言われそうですね。
実は、前回書き込みしてからついさっきまで、この掲示板読んでませんでした。
その間に個人的にいろいろあったんですけれど、ここに帰ってきて、やっぱりわたしのルーツは萩尾望都だなあ、と思いました。
『アメリカン・パイ』がとうとう宝塚作品になっちゃった、というのを読んで、「しまったー!」と思いました。
見たかった。何をおいても。
萩尾作品の「実写・アニメ化」には、いつも批判的な意見が出るし、わたしもずーっと前にNHKで放映した『11人いる!』の実写版とか、画面を隠してしまいたいほどこっ恥ずかしい出来だったり、アニメ版もキャラの顔が違うなあ、と思ったり、と批判的な意見にうなずいてしまうところが大きいほうです。
でも『アメリカン・パイ』を「宝塚」でやる、というのは、何がなんでも見ておきたかったです。
実は萩尾さんの漫画が、ドン・マクリーンの曲の「2次創作」といえないこともないでしょう。
だから、宝塚のは「3次創作」なんですよね。極端な言い方かもしれないけれど。
「……古い古い歌が
だれがつくったのか わからないくらい 古い歌が……
それをつくった人のことも 歌った人のことも すべて忘れさられ 消え去っても
その歌は残ってるように……」
(ちょっと長いので、中略)
「いや もし なにもかもが 失われ 消えても
……果てぬ闇の底に 想いだけは 残るのだ……」
(萩尾望都『アメリカン・パイ』 より引用)
このテーマ(っていうか、萩尾さんなりにドン・マクリーンの歌詞を咀嚼して漫画の独白にしている言葉だと思う)が、他ならぬ2次、3次創作、というかたちで現実のものになっている、といえないこともないような。
漫画を読んでレコード聞いたのが、ちょうどわたしが高校3年の頃だったので、それ以来、このテーマはさまざまなかたちでわたしの生き方の底を流れるテーマになっているのです。
ちなみにスタジオライフ版『トーマの心臓』、テレビで録画して何度か見返しました。
確かに原作を見るつもりだったら「はぁ?」だったかもしれないけれど、一つのお芝居として見たら、生身の人間がやっているからこそ「生の出来(=原作には決してない不完全さを含む)」であることも含めて、いろんな発見もあるし、楽しんで見ることができたと思います。
これも、できれば画面じゃなくて劇場で舞台と続いている空気を味わいながら見たかったなあ……
萩尾さんの中では『トーマ』は突き詰めて『残神』になっちゃったのかもしれないけれど、30年の時を経て、今の時代の中で新しい命を得たのかもしれない、とも思いました。
わたしはわたしなりに『アメリカン・パイ』を生きたい、とも思います。
相変わらず、作品と生身の自分自身の区別がちゃんとついてないみたいですね、わたし……
(ちょっと「狂信的萩尾望都信者」っぽいかも? それってやばいかなあ)
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……読み返して、思う。
やっぱり書き込んでしまわなくてよかった。
自分のことばっかりじゃん。萩尾望都の作品じゃなくて。
まあ、こんなことしか書けないのも、わたしならでは、ということで。
ここまでくると、まるでわたしが萩尾望都さんから呪いをかけられてでもいるような。
(いえその、まるでわたしの生き様を萩尾さんがご覧になってでもいるみたいなんですよ。
それは、今度の『バルバラ異界』にも現れているので、わたしとしては「あー、また萩尾さんに見られてる。逃れられないんだ……」っていう感じなんですよー。ホントに。
ウソだと思うなら、『バルバラ』の時夫とキリヤの関係を、わたしとわたしの子に当てはめてみてください。
わたしは彼が「静かに絶望」している状況から脱することができるのを祈るしかありません)
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07月28日(月)
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