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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■早起き 平和のためのイベント
それを相続するのはいちおう兄弟のうちの誰か一人、というのが一般的であるようだ。
特に田舎では、今でも地域ぐるみでそういう「遺制」を犬儒しようとしている人々がいるようだ。
でも、でも。
「家を守る」ということのために、たとえば結婚相手の名字も仕事も住むところも変えさせてしまっていいものだろうか。
わたしはそれを、身をもって体験した。
本当に、名字も相手のものに変えたし、仕事も変えたし、住みかも東京から故郷の静岡に変えてしまった。
その感想は……
わたしは自分を見失ってしまった。
「嫁」というものが今でもほぼそういう境遇を強いられるということは、恐ろしいことのような気がする。
わたしは自分が事実上そういう立場に置かれて(しかも自分では子を産むことすらできない!)、
結婚相手の「実家」との間で、本当に恐ろしい思いをしながら生きた期間があった。
あんな思いは味わいたくなかったし、二度と味わいたくもない。
なので、実はわたしは「夫婦別姓」にも大賛成だったりする。
(うーん…… この記事はなんだか納得できる言葉で書けていないような気がする。
それは、わたしが今日話し合ったその人の気持ちもわかる、という揺らぎがあるのに、
それがうまく表せないからだろう)
……あっ、そうだ。
一つだけ、とても腑に落ちないこと。
わたしが議論した相手の人は、どうやらその人自身も「実家」ということで傷つけられた経験があるようだった。
それなのに、自分を傷つけた制度、というより慣習を、「正しい」と言うのだ。
それがわたしには理解できない。どうしても。
それを「世の中の厳しさ」というのなら、そういう厳しさは間違っていると思う。
なぜなら、決して人を「生かす」厳しさではないから。
まったく、もう……
そんな「厳しさ」にいつまでも幻想を抱いていたら、人類が滅びるのが早まるだけじゃないの。
前にも書いたことがあるけれど、わたしは「愚かな厳しさ」が嫌いだ。
っていうか、「愚かしさ」を「厳しさ」と勘違いしたりごまかして決め付けたりするのが嫌いなのだ。
なぜなら、不毛だから。
そんなものでは、人も自然も生きのびることができないから。
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★4・お見舞い
お見舞いにいった。
お隣のおばちゃんのところに。
小さくなった、と思った。
けれど、思ったよりもずっと意識がしっかりしているようで、
ぜんぜんぼけていないようだった。
よかった。
わたしは、スパッティという花のつく観葉植物を贈った。
白い花が咲いてきれいだし、葉もしなやかに伸びている。
おばちゃんはわたしのことを相変わらず
「キレイだねえ、本当にキレイになったねえ」と言った。
わたしはこそばゆいような恥ずかしいような気がしながら、それでも嬉しくて、
ついにやにやしてしまった。
早く有名になりたいなっ★
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05月28日(水)
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