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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「GID特例法案」について(うえぇ〜長文だぁ)
でも、さすがにたとえば「有明海の干拓事業の是非」をどう思うか、と聞かれて正確に答える自信はない。
しつこいけれど、わたしはその問題の当事者ではないからだ。
それがどんなに当事者にとって切実な問題であったとしても、わたしにはそれよりも優先しなくてはならないことが山ほどある。
ちょっと悲しいけれど、それがわたしにとっての「現実」なのである。
当事者性のない問題に隣人として関わるとき、人は恐ろしいほど冷酷になれる。
ちょっとした知識だけで簡単にものごとを裁断してしまう。
そうする以上に「関わるひまがない」からだ。
でも、当事者としてのわたしは、上に述べたようなおかしな飛躍でまるで「罪人」のように扱われてはたまらないのだ。
もしもわたしが、それに加えて(というよりも実はもっと重大なことに思えて仕方ないのだけれど)わたしの子が安全に生きていけるとすれば、それはほんの少しずつでもいいから、多くの人が安定して持っている「常識」を変えていくしかないのではないだろうか。
わたしのような存在を決して「非常識。法律から外れている」と決め付けられないような常識に。
一昨日(17日)観た映画『ロバート・イーズ』で、わたしはとても勇気付けられる言葉に触れた。
実はわたしもお会いしたことがある、性についての医学の権威、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士の言葉なのだが:
自然は多様性を愛でる。
という言葉だ。
わたしも、自分のことを「多様性のあらわれのひとつ」として愛することができれば。
これは大きな希望をわたしに与えてくれる。
わたしは弱い人間だから、たとえば神さまに向かっても誇れるような「自分を認められる根拠」などない。
強いて言えば、上にも書いたように、わたしは神さまから与えられた自分という存在を、責任もって愛する。
それが唯一の根拠だ。
そうして、それが、たとえばわたしの子に対してわたしが親としてまず最初の責任を果たすことに他ならない、とも思うのだ。
わたしは自分を認める。
認める以上、わたしは「GID特例法」の法案に対して、素直に支持することはできない。
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(かなり文章としてはつたないと思うし、過不足も大きいと思うけれど、今はこんなふうにしか書けない)
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★2・少し落ち着いてみると
上の記事を書いたのが早朝で、
その後少し(??いっぱい??)寝て、
午前中に目覚めて、
その後あるお友達とお話して、
そうしたら、やっぱり徹夜に近い状態で記事を書くのは止めたほうがよかった、と反省し始めた。
こんなことを書くと「おまえは何をころころ態度を変えてるんだ」と詰られるかもしれない。
でも、とっさの感情的な反応が↑の記事みたいな内容だったんだから、それはそれで「感情的な真理(?)」なのだ(笑)。
……でもまあ、なんだかえらく「男っぽい」、臆病で単眼的な反応だなあ。
恥ずかしいよぉ。
(こういう点、皮肉になってしまうのかもしれないけれどそういうつもりではなく、
FtMの人はXXという遺伝子のせいなのか何なのか、そういう弱っちい「男っぽさ」のない人が多いような気がする。
あまり多くのFtM当事者を知っているわけではないけれど、FtMの人こそ「男らしい」人が多いように見えるのは、なぜ??)
わたしが上の記事について反省している点は、主に二つ:
1) 「それでもここまでこぎつけた」という事実に目を向けていない
2) わたしは詳しいことについてあまりにも無知なのに、それを飛び越えて知らないことにまで言及している
偏見と差別について、わたしは唐突な飛躍のしかたをしてしまっている。
わたし自身がそうだったではないか。無理して男をやっていた頃には
「性転換なんて、正常な精神では考えられない変態」
と、自分自身も含めてレッテルを貼っていたじゃないか。
(そうしないと「自分の正体がばれて生きていけなくなる」と思い込んでいた)
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05月20日(火)
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