ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■いのちの質
ホルモン打ったり手術受けたりしなければ生きていけないんじゃないの。

その人は
「不幸を売り物にしたくない」
と書いていた。

でも、惨めなのは百も千も承知で言うけれど、
「私ってこんなに不幸なのよ〜〜〜!! わかってえ〜〜〜〜〜〜っ!!」
と大騒ぎをする人には、そんなことをしなくてはならないほどの何かがある、
ということに対して、
私は鈍感でいたくない。
ていうか、私自身、そう見えるかも。
あんまりそういうことをしている自覚はないけど。

しゃあしゃあと書いちゃう。

私自身、まるで「脳が男」であるかのように、
男そのものみたいな生き方・考え方・感じ方をしていたことがあります。

でも、それ、懲りたんです。

きっと、本当は「男だから」ではないでしょう。
けれど、私の周りにも、ときどき
「理論的に正しい」
という言葉を振り回す人がいて、ほとんどは男です。

「正しいか誤っているか(→私は正しいんだ!!)」でものを言いたがる人は、
自分の感じたことを人に受け入れてもらうためには
「正しい」と証明されなくてはならない
と思ってしまっているのではないでしょうか。

でも、それって、自己評価が低いせいだと思う。

自己評価が低いまま、追い詰められてしまうと、
それでも感情的に爆発できないほど重症の人は
「私の言っていることは間違っているか?(正しいだろう?!)」
と居直ります。
まるで、その言葉によって、
自分の症状を最後の最後まで否認できるとでも言うように。

男だけではなく、女でもそうなってしまう人はいます。

でも、私は懲りました。

そんなことより、人の言葉に耳を傾け(ちゃんと読み)、
理解し、共感すること。
そのほうが、よっぽど大切だ、と思います。

もちろん、ものごとによっては
「正しいか、間違っているか?」
が、とても重大であることもあります。

でも、それはほとんどの場合、
「今、ここで、私にとって」
であるような気がしてなりません。

少なくとも、私は「他人事」なのに「それは正しい」とか「間違っている」とか
言う気にはなれません。

(ちょっと待て;推敲していて気が付いた。
何行か上に「順番が間違っている」と、私自身が書いてるじゃないの。
でも、それ、確かに「今、ここで、私にとって」にほかならない(-_-;
……っていうことは、これでいいのね?)

また、一般的に、私自身について起きたことでも、
過去のことについて「正しかった、間違っていた」を「判定」するのもやめました。

だって、今思い返せば「ああしなければよかった」と思うことでも、
「そのとき、そこで、その私にとって」
そうするほか、思いつかなかったのだから仕方ないと思うし、
何をどんなに言い立てても、
事実は事実、です。

(愚痴:「私は間違ったことをしてきてはいない」という人がときたまいます。
けっこうびっくり、トンデモなことを言う人だと思います。
ああそうか、そんなにびっくりしたからこんなふうに書きだしてしまったけど、
今は穏やかに眺めましょう。そんなに追い詰められている(いた)んだ、って)

これらの言葉を、この記事の冒頭で批判的に扱っていた人にではなく、
まず自分に言い聞かせたいと思います。

ていうか、自分に言い聞かせるように書いているのに、気がついた。
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★3・がんばりすぎたり、弱ったり
……と、ぐちぐち書いたのは、
今日けっきょく劇団のほうに行けなくて、しかも炬燵で寝てしまったからなのでした。
弟には「あなたが寝る前に起こして」と一言言い残したのに、
起こしてくれなかったようだ。
(ていうか、覚えのない座布団が脇に置いてあったので、それは弟がそうしてくれたのね……
本当は感謝するところなんだろうけれど、今は悔しさのほうが先に立ってしまっている(;_;))


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02月12日(火)
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