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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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今の職種に就いてから、(元々あんまり見なかった)テレビというものを、ほとんど見なくなってしまったので、娘。を見るのは本当に久しぶり。
(といっても、娘。をはじめて見たのは、単身赴任のときに知らないうちに加入したことになっていたCATVで日曜日にちゃんとやっていた「ASAYAN」なんだけどね;地元では、なんか10日遅れでヘンな深夜の時間帯にしかやってなかった。あれで、自分の娘がヘンなオーディションに出るのを防ぐつもりだったのだろうか、地元のお父さんたちは? こういう閉鎖性、大キライ! ああいう「同時性」を売り物にする番組、ほかの番組削ってでも生で流すべきなのに。ぷんぷん。でも、「コムロ・オーディション」のときにはだいぶうちの県からも応募していたなあ。どこで見つけてたんだろ、あの子たち? たぶん、雑誌とかにも載ってたんだよね)
最近の娘。って、なんだかコメディー・ミュージカルみたいになってしまっていて、ちょっと「3の線」に走っているようでイヤ、という気もしないではないけれど、……理屈はいいの!
デビュー当時のメンバーはもう3人しか残ってないけど、辞めていった子たちのことも含め、あとプロデュースしているつんくの気持ちも思うと、私は見ていてついつい泣けてきてしまうのよー!!!
私も、十代の頃にあんなオーディションがあったら、ぜったい挑戦したかった!
もち、女の子として、よ。 ああ、でも、中学生の頃にはもう、飯田香織よりも背が高かったからなあ、私。
合宿しているところをずっと見つづけた。
なんだか、私が学生の頃にやっていた音楽活動の様子と、どこか似ていた。
平家みちよが優勝し、いったん挫折した子たちが集められたのも、私の経験にどこか似たところがあった。
……
そう。だから、私はすっかりあの子たちを自分と重ねてしまったのだった。
そのうち、つんくの「秘話」を読む機会があった。
あまり知られていないが(ってその雑誌には書いてあった。でも、きっと今では知らない人もあんまりいないでしょう)、つんくが下積みっていうか昔つきあっていた彼女に、一度は別れちゃったんだけど売れ出してからもう一度会いに行ってみたら、その彼女は交通事故か何かで亡くなっていた……
もちろん、つんくがその死んでしまった彼女への未練だけで動いているとは思えないけれど、「なつメロ路線」とか、なんとなく気持ちが窺い知れて、……切ない。
まあ、つんくの「仕掛け」に、すっかりハマっている私なのでした。
もしかしたら、こういう感覚は、「オヤジ!」って言われてしまうのかも知れないんだけどね。
「オバサン」で娘。のファンだっていう人に会ったことないし。
どうなんだろう、純女さんたちは。
ともあれ。
一人一人がちょっとずつソロをとるところを見ているうちに、涙がボロボロこぼれてきてしまった。
その涙は、決して苦い涙ではなかった。
一人一人が、ちゃんと個性を持ち寄って一つのステージを完成させている。
そんなふうに見えるの。
何よりも、彼女たちは、ステージで歌って踊ることを、心から楽しんでいる!
だから、「3の線」みたいでイヤ、なんていう頭でっかちな批判も、あっという間にふっとんでしまいました。
ああ、なんだか、中澤裕子が「先生」で、新人の子たち(裕ちゃんよりも14歳年下?それじゃあ、私となんか、「生きている時代が違う」じゃーん!)が「生徒」に見えたりもして。
飯田、相変わらずボケかましてる。
保田、がんばってる。
まりっぺ、実力あるのよ、君は!
なっち、だんだん「お姫様」化してるな。
ごまちゃんは、私があんまり見なくなってから入った子なので、よく知らないや。

みんな、がんばってね。

いいじゃん、モー娘。のファンでも!

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(なんか、ここまで書くと「おたく?」って言われそう。あ〜あ……)

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こんなことしていると、職場の人たちから軽蔑されるぞ。
人が仕事してる間に、おまえは何をしているんだ。

あ、思い出さない方がよかったかも。
だんだん、身体が動かせなくなってきた。

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06月09日(金)
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