ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■過去のことにしたい話
そして、そのプレイの恥辱度と、自分への愛情を比例させて考えます。つまり、自分の要求するどんな行為も受け入れる女性は、自分のことを深く愛し てくれているということになるのです。
また、自分が暴力を振るった後で、性行為を求める男性が数多くいます。
ここで、女性が性行為を受け入れると、男性は、自分のした行為すべて(暴力も含めて)が許された証拠だと錯覚します。
女性からすれば、性行為を受け入れなければまた暴力を振るわれるからという場合がほとんどですが(こうなると家庭内レイプです)、男性側にはその 自覚が全くありません。

自分の犯した暴力行為について
DV男性の多くは、自分の犯してきた暴力行為に対して、全く無自覚です。
それは、前述してきた様々な要素によるからなのですが、だからこそ、暴力を振るう男性は、変わることは出来ないのです。
パートナーに逃げられても、また新しい女性と暮らし、その暮らしのなかで暴力を繰り返すことになるでしょう。

だからこそ、DVの渦中から脱出しなければならないのです。

-----------------------以上引用

……で、これを読んで、わたしは自分に当てはめて考えてみた。

T性別役割を当然と考えている
> 妻は家に居て、夫に黙って付き従うのが当然と考えています。
……
> ですから、「出来る女性」を見ると、「あんなのは女じゃない」と否定したがります。

ある面で、全く当てはまらない。
わたしはわたしのパートナーがしっかりした職業を持っていて、自分より収入も多いということを好ましいことだとしか思ってはいなかった。
それはそれで問題があるようにも思うけど。
ただ、ある面では当てはまるかも。
というのは、わたしは彼女よりも仕事・生活、全ての面で劣っていたので、自分のことを「女性以下」だと思っていたのだけれど、それってもしかしたら「男>女>自分」という、男女差別的な価値観に基づく価値判断だったのではないか、という気がするから。
うーん、でも、パートナー以外の女性を見ても仕事ができる女性は素晴らしいと思っていたし、たぶん女性のほうが男性に任せておくよりもずっと優秀だとも思っていた。
そうして、自分は「ちゃんと女に戻れば今よりもっと能力を発揮したり人格的に成長したりできる」とも思っていた。
いったい、どれが本当の自分の価値判断だったのだろう?
振り返ってみて「DV加害」としか思えないようなことをしていた時期にも、上のように考えていた。
決して「後から考えを変えた」のではない。
むしろ、パートナーや彼女の両親、それに職場から「性役割」について(差別的な)厳しさを求められていて、それが嫌になってしまった、というのが本当のところだ。

Uパートナーに対する過剰な期待と過度の依存
> 自分の理想の女性像をパートナーに求めます。
> そのイメージとパートナーが少しでも違っていると、パートナーを許せなくなってしまいます。

これはなかった。でも

> 自分の無力さを、パートナーの「努力不足」のせいにします。
> そして、そういうパートナーと一緒に居る自分が不幸者だと、勝手に被害者になろうとします。
> 自分が愛するように、またはそれ以上にパートナーも自分を愛することを求めます。

これは言えてるかも。ただし

> その愛情は、「自分が愛だと感じる」愛し方でないと、愛とは認めようとしません。

これは「????」。激しく疑問。

V嫉妬深い
> パートナーが他人と接触するだけで腹が立ってきます。
> しかし、自分が他の女性と親しくすることに対してはなんとも思っていません。

こんなふうに考えたことはなかった。
確かにわたしは「浮気」してしまったことがあった。
相手から篭絡される、というようなかたちで。
でも、わたしにわからないようになら、彼女だって浮気してもいい、(だってわたしがしてしまったんだから)とは思っていた。
今思うと、なんて幼稚な考え方だったのだろう、と思うけど。
わたしは、自分がした浮気について、「だから男でいるとろくな目にあわない」と思った。

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12月31日(水)
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