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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■早起き 平和のためのイベント
お客さんの多くが涙で共感してくれた。
数少ないけれど貴重な体験だった)

それととてもよく似た形式で、こんなに多くの人に感動と共感を呼ぶなんて。
世の中は、明らかに20年前よりも良くなっている、と思った。ある面では。
でも、世界が滅びるのと紙一重である程度も、あの頃よりも一段と大きくなったと思う。別の面で。

だからこそ、わたしは自分の立場を明らかにしなければならない、と思う。

わたしは、あらゆる戦争やそれ以外の殺人と暴力に、絶対に与(くみ)したくはない。
そうして、それらのことがこの地上から一切消えてなくなることを、心から祈っている。
そのために自分ができることがあれば、なんでもやりたい、と思う。
(だったら本当にやれよな>自分)

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生きていて、良かった。
女に戻れて、良かった。
(わたしにとっては「男」というフィルターがかかっていた頃には感じにくくなっていた感情を
ダイレクトに、敏感に感じることができるようになってきたのだ)
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★3・「家族制」
実は今日、↑の他にもとても貴重な体験をした。

誰、ということは、その人の名誉のために明かさないほうがいいと思うけど、
ある人と「家督相続」について話したのだった。
っていうか、ほとんど言い合いのようになってしまった。
(すごく怖かった;相手は体の大きな男性なので)

その人は、現代の日本では制度的には消滅して慣習の中に残っているだけの「家父長制」を、
「それが常識だ」と言ってわたしに押し付けようとした。
わたしは、そういうもののせいで自分を一旦はすっかり失ってしまった経験があるので、
それを擁護する立場には立てない、と言った。

長男や長女が「家を継ぐ」ということは、多くの人の自由を奪う。
それがなぜかといえば、「帰る実家」や「入るお墓」を失わずに確保しておくために、だ。
確かに、わたしも今、「実家」というものがあるおかげで、
ほとんど収入もないのに生活できている。
もしも弟が幸せな結婚をして、新しい家族と一緒に穏やかに暮らしていたら、
わたしはきっと弟を頼ることはなかっただろう。

でも。
「家父長制」「家督相続」ということに今でもこだわる人の気持ちは、少しわかったような気がする。
それは、とてもかわいそうだし、実はみじめなことだと思うけど。

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戦前に行われていた「一子による家督相続」は、鎌倉時代の末にだんだんと起きてきて、
室町時代頃に定着したのだとか。
鎌倉時代に入る時に源頼朝が掲げた「御恩と奉公」から類推できるのは「均分相続」だった。
けれど、それだと代を重ねるほど、
一人あたりの相続する土地や家屋その他の財産が小さくなっていってしまうので、
それを防いで豊富な財力や強い武力を確保しておくために
「家督」というものを家族の誰か一人だけが受け継いでいく、というかたちに変わっていったのだ。

初めの頃は、実は「長男(長子)相続」ではなかった。
子が複数いれば、いちばん実力のある兄弟が相続したのだった。
ただ、このやり方にも欠点があって、兄弟どうしで武力を争うことにつながりやすかったのだ。

で、結局明治維新を迎えてから、
たぶん皇室の皇位継承順に合わせて「まず第一子の男」つまり「長男」が相続する、ということになった。
「男が後継ぎ」というのは、江戸時代にはかなり定着していたようだけど、
しっかりした制度になったのは明治維新以後だった。
「男」でなければいけない理由は「戦闘能力が高い」というのがたった一つの理由だろう。
後からだいぶいろいろと余計な意味付けをされてしまったようだけど。

「日本では昔からそういうことになっている」というわけではない。
いちばんさかのぼっても600年ほど前からなのだ。

現代でも、「実家」というものが「目減り」してしまわないように、

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05月28日(水)
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