ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
[152663hit]

■いのちの質
一方では自分のGID治療において、そうして、もう一方で母の癌治療において、
私は「QOL」ということについて、体験し、考えさせられた。

母は死んで、私はまだ生きている。
もちろんそのことは別にどっちが勝ったとか負けたとかいうことではない。
死はとても怖いことで、できるだけ先延ばしにしたいとは思うけれど、
それ自体は決して悪いことではないし、
私も含めて今生きている人は必ずいつか死ぬので、
できるだけ穏やかにそれを迎えられれば、と思う。率直に。

私はGID治療を受けつづけてよかったと思っている。
なぜなら、
ちょっと大げさかもしれないけれど、
治療を受けなかったら、私は死んでしまっていたかもしれないから。

うーん、やっぱり、大げさ。
軽々しく「死」を振り回すのは、みっともない。
だって、「死んでしまっていたかもしれない」というのは、一言で言えば「自殺」のことだし、
私は世界中から嫌がられても、とりあえず自分から死ぬのだけは
最後に私の存在を許してくださっている方に対してあまりにも恐れ多いので
それだけはしないことにしているから。
少なくとも、今のところ。

その「方」って神さまのことだけど、きっと
「神さまを持ち出してそういうことを言うのは甘えてる」
とか思う人、けっこういるんだろうな。

うん。
私、甘えてるよ。
人間どうしだったらそこまで許されなくても、神さまだけは甘えていいんだもん。
全知全能だから。
その神さまが「おまえ、生きてていいよ」って甘やかしてくれてるのに、
それを反故にするなんて、悪くて悪くて。
ちゃんと甘えなくちゃ。

あっ、しまった。
話が逸れた。
どこから逸れたかと言うと、「GID治療を受ける」ということから。

私はGID治療を受けている。
確かに、精神的に「もう生きていくのはイヤだ」と思いつめてしまうことは免れて、
それからも生き続けることができるようになった。

ただ……

体力がとても衰えて、どうやら私の命は以前よりとても弱くなってしまったんだなあ、
と感じる。

今まで書いてきたこと……母の死も含めて……
そういうこと全般に思いをめぐらすと、
「QOL」という言葉が「生活の質(苦痛なく生きていけること)」ということだけじゃなくて、
「いのちの質」とでも呼ぶべき側面を持っているのではないか、
そんなふうにも思うのだった。

私のいのちの質が低下している。
そんなふうに感じてしまうのだ。

余計なことかもしれないけれど、
GIDを自覚して、それでも生きていこうと思う人がいたら、
できるだけ早い年齢のうちに、できるだけの治療は受けてほしいと思う。
今は昔と違って、きちんとお医者さんの指示に従いながらホルモン療法や手術療法を受ければ
心身ともに健やかに、きっと長く生きることができるのだろうと思う。

残念なことに、私はあまり日本国内で「性転換したお年寄り」を見たことがない。
(テレビで一人だけ見たことがある)
けれどそれは、医療によってGIDの当事者をきっちり救済する方策があまりなかったからなのではないか。
(そういえば、そのテレビで見た人というのも、アメリカで手術を済ませたのだった)

私自身が「もっと早く治療を受けたかった」という思いを強くするのと同時に、
そんなことも考えてしまう。
多くのGID当事者の「いのちの質」を高めるために。
この記事のトップへ
ページのトップへ


★2・「いのちの質」への補足
はっきり言って、「いのちの質」は医療を受けることを否認する人に対して
半ば反論のように書いた、という面もある。
ていうか、その人に対して怒っていて、むきになって書いた、ということではないけど。

その人は
「ホルモン打ちすぎて頭が飛んでる」
という言い方を引いていた。

順番が間違っている。
性別違和で頭が飛んでるから、

[5]続きを読む

02月12日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る