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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■夢の中から(メモ) +補足 +「病としての男」
でも、「おなかの中にさびしい顔した赤ちゃんがいる」。
この言葉に、私は強く共感してしまった。
赤ちゃんは、さびしい女の子のお人形じゃない。
けれど、お人形さえも持てないまま
……「お人形」は比喩だけど……
追い詰められてしまった女の子、あるいは女は
我が子を人形と同じように
自分を慰める道具にしてしまうことだって
あるのかもしれない……
決して、「自分よりも大切」とだけ思って
愛しぬくことは「親なら当たり前」とは
言い切れない、と思う。
しかも、「自分より大切に育てている」つもりでも、
気が付いたら自分の心のひずみで
がんじがらめにしてしまっていることだって
あるかもしれないのだ。
そういうことに囚われずに
子どもの幸せを素直に実現するには
親自身が幸せになるしか
ないと思う。
追記:「金八先生」というドラマの構造
このドラマは「教育」ということをベースにして描かれている。
だから、たとえば、私にとっては私が、あなたにとってはあなたが、
それぞれに過ごした中学や高校での思い出が「自分を主人公」にして思い出されるように、
一人一人の登場人物それぞれが、それぞれ「自分にとっての主人公」である、ということを
かなり強く意識して作られている。
(長い余談になってしまうけれど、
映画『タイタニック』はもちろん若い二人が主人公として描かれてはいるけれど、
あの映画が劇場上映中のあるとき、ラジオで
「他の登場人物の過ごしているサイドストーリーも、
しっかり時間の経過などにしたがってリアルに描かれている」
と誰かが言っているのを聞いたことがあって、
ドラマには確かにそういう要素があるのだ、ということを思い出したのだった。)
「金八先生」を見ていて、私もともすれば「直」にだけ集中してしまいがちだけど、
他の子たちのストーリーも、それぞれの子がリアルに過ごす時間、
つまり「生活」を持っているものとして描かれている、ということを見過ごせない。
(『お話しましょ♪#2』には書かなかったけど、
「のぶた」と呼ばれている男の子の両親が離婚していて、本人もあれこれ傷ついたり
ヤバい悩みを抱えそうになったりしているのに、
金八先生は気づいてもいない。何の役にも立っていないのだ。
これにはすごく、やきもきしてしまう。
お父さんの再婚相手の女性は、もう完全に「児童虐待」状態になってしまっている……
かわいそう(;_;)……っていうか、身が凍りつくような気持ちにさせられる。
子役の子が本当に泣き叫んでいるように聞こえることもあり、
「たとえドラマでも、そこまでしていいんかーーー??!!」と、思わず叫びたくなってしまう)
また同時に、
金八先生のクラスは確か「30名」からなっているけれど、
いくら「有能な(?)」金八先生でも
(作者の小山内先生はできれば『有能』とは描きたくないんだろうけれど)
一人一人の子が「自分が主人公」のストーリーを持っているということを踏まえて関わるのは
30名が「限界」だと思う。
私の世代なんかは「40名学級実現!!」とか日教組が声高に叫んでいる時代だったけど、
40名でもまだまだ多すぎたのよね。
私の経験では、せいぜい教師一人あたり10名以内じゃないと、
金八先生みたいに「一人一人」としっかり向き合うことはできないと思う。
(予備校の受験のみを意識した授業とかだったら、当然話は別だけど)
まあ、金八先生自身、「みゆき」のことなんかでも、思いっきり「後手に回る」状態だったけれど、
仕方ないといえば仕方ないのかなー、と。
もちろん、みゆき本人にしてみれば「冗談じゃない!!」っていう心境だろうけど。
「1クラスに何十人も寄せ集めなくちゃいけない」って、なんだかまるで「常識」みたいだけど、
ところでそれ、
誰が決めたの?
「オマエ、なんでそんなに教師に同情的? 日教組の回し者か?」
とか思われるかもしれない。
確かに私は日教組に対して同情的だ。
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01月31日(木)
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