ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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それは、実はあなた自身の「精神の自由」を、自ら手放すことにつながるのです。≫
私は意図していようといまいと「盗作」が許せないの。
時には、たった一つの過ちが二度と許せないことだって、あるの。
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タイトルと本文が合わなくなってしまいました。
私はそれほどまで、悔しい思いをしているのでしょうか。
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★09.16-2・人権
at 2000 09/16 17:04 編集
「人はすべて、生まれながらにして自由、平等の権利を有する。」
中学校の公民で教わりますよね。
日本人なら、誰でもこのことを知らなければ国民としては生きていけないから、わざわざ「義務教育」として教えるのですよね。
でも、人権には実は「保留条件」があるのです。
人権が与えられるのは、「自由」や「平等」をそのとおりに「使いこなせる」人に限るのです。
だから、まだ上手に使えない「子ども」は「保護者」によって人権を制限されながら早く使いこなせるように、と教育を受けるのだし、
他人の人権を奪ってしまった「犯罪者」は、自らの人権を大きく制限されるのです。
時には命さえも!
「使いこなせる」という書き方をしましたが、少しはっきりした言い方をすれば、「責任」と「能力」、と言い換えてもいいでしょう。
また、人権が奪われるときの決り文句は、たぶんこういう一言に集約されるでしょう。
「この者(たち)に人権を持たせていても、使いこなすことはできないだろう」
正当であれ、不当であれ。
黒人が公民権運動の中で主張してきたのは、「黒人はあなたたち白人が思っているような、人権を享受する責任や能力を欠いている人種ではない」
ということに尽きるでしょう。
人は、自由のために生きる。
お互いに自由であるためにこそ、お互いが平等でなくてはならない。
今、私はこのところずっと囚われてきた
「人は自らのエゴのために生きる(だから他人や、まして他の生き物や物質のことなんか、知ったこっちゃない)」
とは、少し次元の違うところでものを考えているようです。
はっきり言って、「エゴかどうか」はこの際、問題にしたくありません。
人間の「責任」も「能力」も、おのずから限界があるので、それを超えることまではわかるわけがないのです。
限界の外側から見ればいかに人間が全体として愚かであろうと、それはおのずから「制限」されていて当然なのです。
大切なのはむしろ、
今知っていることに対して、どれだけ誠実であれるか
なのではないでしょうか。
私自身、ここ半月ほどの間に、それまでは知らなかった、知ることもできなかった、多くのことを知りました。
でも、私は、「知った」ことに振り回されるのではなく、それらのことに対してどれだけ誠実であれるのか、に敏感でありたい、と思います。
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★09.16-3・お知らせ
at 2000 09/16 17:43 編集
*きっと、トップページを見ずにここに来る人も多いと思うので*
常連さんなんかのほうが気付いてない人が多いかもしれないけど、
(だって、私自身がめったに更新しないから(^^;)
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見てね♪
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09月16日(土)
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