ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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(これ書くのに、1時間ぐらいかかった。だって、Rimbaudの年譜とかVerlaineの綴りとか、すっかり忘れちゃってたんだもん。「名前すらわからない」=「検索すらできない」っていうことなのね(^^;)
ま、たまには頭の中だけでなく、調べながら書く、ということもアリ。
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★3・キリがない
at 2000 08/19 11:43 編集
ので、走り書き。
・「ミラボー橋」(アポリネール/堀口大學・訳)
そういえば、暗誦したっけ。
…うううう〜〜っ、新潮文庫の「アポリネール詩集」、古本屋さんに売っちゃったのよねー、1984年に。
何年もたってから「あ、あれ」と必要になっても、もう手元にはない…その悔しさがあるから、私は自分の持ち物、特に「本」と「音源(テープ、CD<もってのほか!!)」「楽器」が捨てられないの…
(モノを捨てずに拘るのは「オトコ」の悪いクセ;だから早く捨てられるようになりたい…)
・演歌
キライじゃないよ。
ただ、演歌に対する私の態度が、「ジャンル」と「個人の感性」の持つ限界性を示しているような気がして、複雑。
簡単に言えば、誰でもそうだけれど、自分の好きなジャンル、嫌いなジャンル、っていうのは必ずあるわけ。あと、「嫌いも何も、分からないジャンル」っていうのも。
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ちょっと前までは「ラップ」がそうだった。
ここ5年くらいは、たぶん昔の人の聞き方で(つまり「あくまで『メロディー』がある」ことを前提として)聞いても、けっこう美しいなあ、と思える曲を出す人たちがいるので(例えばドラゴン・アッシュとか)、そういうのは楽しめるけど、若い人たちはそんなことあんまり関係ないんじゃないかなあ。
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演歌について、私は「演歌そのもの」を楽しんでいるかどうか、自信がない。
結局、演歌を聞いても、「日本の民族ポップス」として楽しんでいるようなところが、かなりある。
東南アジアに何度か出かける経験をしてから、はっきりそう感じるようになってしまった。
もちろん、さまざまな要素を分析的に楽しむにせよ、演歌を1曲聞いているだけでこんなにいろいろな「文化」が聞けるのは、自分が日本人だからこそ、なのだろうけど。
なーにが、「走り書き」??
長い!!
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08月19日(土)
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