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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■感想「目を閉じて抱いて」 「夏の約束」
ただ、私自身は「半陰陽」に対して、今でも「憧れ」の気持ちはあっても、「異常」とか、まして「両性具有=みんなやりまくり」とか、そんなふうに考えたことは一切ありませんし(そりゃ中には「やりまくり」の人がいるのもふつうでしょうけど)、そういうふうに考える人とは、個人的には一生おつきあいしたくもありません。
もちろん、とんでもない誤解の中にでも一生浸っていなければ自我が保てない、と主張する人に干渉する権利は、私にもありませんけど……最後、ちょっと辛辣(^^;)
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★2・ネタばれ感想「夏の約束」
☆注意!!:以下の文章は「夏の約束」(藤野千夜)の「感想」を中心として書かれていますが、全面的に「ネタばれ」です。
ですから、できる限り、作品をお読みになってから、この文章を読まれますよう、お願いします。
でないと、ソンすると思う;だって、「ネタばれ」ではあるけれど、それで作品の味わいがわかるとか、まして作品の伝えたい雰囲気とか気持ちとか(あ、それが「味わい」じゃん、一緒か)、そういうことが分かるとは、とても思えないから。
それに、私の文章、つまんないし。
私は別に藤野千夜さんのマワシモノではないし、まして彼女の「営業」をしようとか、一切思わない。
でも、まず読んで!!
自分の五感で味わって!! ね♪

とうとう宿題から逃れられないみたいなので、一言書きます。
(たぶん、自分にとって、それが最善なのでしょう)
私にとって、「約束」は時として「宿題」になり、果たせなくなるものです。
菊ちゃんなんかは、もしかしたらそういうところがあるかもしれないね。

……と、いきなり「菊ちゃん」から入るあたり、登場人物が「立っている」と感じられるのが、この作品のまず大きな特徴だと思います。
「登場人物が立つ」っていうのは、登場人物の設定や性格・容姿などの描写、気持ちの動き、その他がとってもよくできていて、読者にとってその人の姿が紙面から「立ち上がってくる」みたいにくっきりしてくることです。
私、もしかしたら「この小説は菊ちゃんを中心としたお話です」って言われて読んだら、信じちゃったかもしれない。
それに、たぶん、そういう「軸」も持っていると思う。
だって、単行本の表紙の見返しのデザイン、菊ちゃんの部屋の隅に立てかけられたコルクボードの写真でしょ?
(お願いだから、「現代の小説はそんなこと=登場人物一人一人に軸を持たせること;ぐらい、当たり前だっ!」なんて突っ込まないでね。私、1950年代以降の作品って、ほとんどちゃんと読めてないんだから。それこそ「芥川賞作品」なんて、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」が「文芸春秋」に載っているのをわざわざ買って読んで以来、「文芸春秋」という雑誌を買うこと自体20年ぶりなんだから…… あ、あと、宮本輝っていう人も「芥川賞」獲ったんだよね? あの人の作品は人に薦められて何冊か読んだ。私、読むとものすごく影響されちゃうから。新井素子はほとんど持ってる。30歳過ぎてからはあんまり作家に入れ込まないようにしていたんだけれど…… 今度は、さすがにねえ、…… 何が言いたい?)
「軸」のこと、少し突っ込んで考えようかなあ。
現実に生きている人にとっては、必ず自分が自分の生きているストーリーの「軸」っていうか「主人公」なのよね。……やっぱり、「主人公」は重たすぎるから、「軸」にするね。
で、他人と関わるときって、いちおう自分を「軸」にしてはいるけど、どうしても相手の「軸」も考えなければ、お付き合いなんてできないじゃない?
それをどんなかたちで捉えて、どの程度考慮して、それをどのように表して、どういう行動(=ここでは「約束」)に結実していくか……
それって、「小説」では、かなり描き出すのが難しいことがらなのでは?
それも「小説の基礎」?
うーん、「他人の尺度」を気にするのは止めよう!
要するに、私は各々の登場人物がお互いに関わりあうときの、「how(どの、どう、どんな……)」の部分が、とっても素敵に描けていると思うの!
「素敵」って言っても、「すばらしい人間関係」なんかじゃないよね。

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02月10日(木)
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