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doo-bop days
by ブーツィラ
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■ウメ子フチから学んだ民族の心〜けうとぅむ〜 / 小助川 勝義
「安東ウメ子フチ(アイヌ民族の女性の古老に対する敬称)は、アイヌ文化の素晴らしい伝承者です。この方のレベルの人はいません。歌やムックリ(アイヌ民族の口琴)だけではないんです」

7/21(金)に東京・八重洲のアイヌ文化交流センターで行われた、アイヌ文化公開講座“キロロアン”(定員40名程度)に初めて参加する。故・安東ウメ子さんの2枚のCD(幕別町教育委員会)とDVD『けうとぅむ』の制作などに尽力された小助川 勝義氏が講師で、タイトルは「ウメ子フチから学んだ民族の心 〜けうとぅむ〜」。
小助川氏は、北海道十勝地方の小・中学校で教員および校長を務め、現在はマクンベツアイヌ文化伝承保存会の会長である。

長年、安東ウメ子さんの良き理解者で、最も間近にいた小助川 勝義氏の公開講座ということで、ウメ子さんに関するエピソードや情報など、何かしら得られるのではと思い、参加した。ウメ子さん関係で初めて知ったことがいくつかあったうえ、公開講座の雰囲気がわかったこともあり(勇気を出して参加したが、杞憂に終わる)、私にとっては有意義な講座であった。

最初に、本題とは別にいくつか書いておこう。小助川氏は、奥様や保存会の方がこの公開講座のために作ってくれたアイヌ民族の正装をいくつか実際に着て説明した後、アイヌ文様刺しゅうのマタンプシ(鉢巻)を頭にまいて披露してくれた。マタンプシは、安東ウメ子さんの娘の春江さんがこの日のために作ってくれたという。アイヌの歌い手としての春江さんは、母と同じく声がきれいだし、期待しているとのこと。
一方、公開講座の終わり頃、小助川氏によって紹介され、教室の一番後ろの席から立ち上がってお辞儀をしたのは、安東ウメ子さんのお孫さん(!)。ウメ子さん自らムックリの手ほどきをし、成長を楽しみにしている「19歳」のお孫さんとは彼女のことかも。ちょっとした驚きであった(「19歳」=おそらく2002年当時。 CD『シリピリカ』発表に伴うネット上にかつてあった記事より)。
【追記】「彼女」(安東ウメ子さんのお孫さん)は、東京を中心に活動するアイヌ民族の若手グループで、アイヌの歌と踊りにヒップホップなどを取り入れているアイヌ・レブルズの女性メンバーの一人である。2008年1月13日(日)22:00から放映のNHK教育テレビ『ETV特集』「僕たちのアイヌ宣言 〜“民族”と“自分”のはざまで〜」を見て確認した。

個人的な備忘録も兼ね、小助川氏の公開講座のうち、安東ウメ子さんに関する話のなかからいくつかピックアップして、大意を中心に記しておく。なお、小助川氏はこの公開講座で安東ウメ子さんのことを多くの場合「安東さん」or「ウメさん」という呼び方で話していたが、「ウメ子フチ」にほぼ統一して書いた。

■ウメ子フチが生まれ育ったコタン(集落)には、明治政府によるアイヌ語の禁止にも関わらず、アイヌ語だけで生活している人がいた。嫁ぎ先のコタンにもそういう人がいた。だから、ウメ子フチは本物のアイヌ語を聞いて育っているし、本物のムックリの音も聴いている。
■ウメ子フチの存在を知ったのは、私が20代の時だった。教員仲間と編集誌(郷土史部会?)をやっていた30代の時に、ウポポ保存会との交流会でウメ子フチと初めて接触した。
■ウメ子フチのムックリを初めて聴いた時には言葉が出なかった。この人の音を遺そうとウメ子フチの自宅を訪れ、カセットによる録音を始めた。
■録音するだけではなく多くの人に聴いてもらいたくなり、資料館(幕別町ふるさと館?)でウメ子フチの演奏会を開いた。
■帯広市の大通りにある私の知人の喫茶店でウメ子フチのコンサートを行った(1980年代初頭?, ウメ子さん初のライヴとされる『ムックリの夕べ』)。

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07月21日(金)
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