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doo-bop days
by ブーツィラ
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■安東ウメ子『ウポポ サンケ』発売記念コンサート
隅田川沿いに建つ、屋上に金色のオブジェがあるアサヒスーパードライホール4Fで行われた。アイヌ文化の伝承者で、ウポポ(アイヌ語で歌の意)とムックリ(アイヌ民族の口琴)の第一人者である安東ウメ子のアサヒスクエアA公演(東京・浅草)を観に行く。

貴重な音楽体験であった。西欧音楽や日本のポピュラー音楽、純邦楽とは異なる音楽的語彙を持つ安東ウメ子のパフォーマンスは、今までに観た様々なミュージシャンのライヴのいずれとも違うものだった。
別次元にいるかのような存在感、大自然そのものを奏でるムックリ(口琴)、ゆったりとした素朴なリズムに乗って紡がれる、静かに祈るようなウポポ(歌)。その揺らぎのあるウポポはどこまでも自然体でピュア。気負いなどの余計なものは何もない。「皆さんがこの歌を聴いて寝てくれるのが本望です」と話してから歌った、伴奏なしの独唱による「イフンケ」(子守歌)は、神々しさを感じるほどだった。
これら安東ウメ子のライヴ・パフォーマンスの衝撃は、ライヴ直後よりもむしろ約半月経った今(投稿日の2/14)の方がボディーブローのように効いている。私の音楽観を根底から揺さぶり、再構築を促すライヴであった。

チケットの半券。かなり良い席で観られた。

以下、メモランダム風に記しておこう。

♪ このライヴの演奏陣は、2003年12月に発売されたアルバム『ウポポ サンケ』とほぼ同じメンバーである。
安東ウメ子[ウポポ(歌)、ムックリ(口琴) ]、OKI[トンコリ(樺太アイヌの弦楽器)、ムックリ、安東ウメ子を全面的にサポートするプロデューサー]、等々力政彦[ドシュプルール(モンゴルと国境を接するトゥバ共和国の楽器で、三味線みたいな三弦の發弦楽器)、イギル(トゥバ共和国の二弦の弓奏楽器)、喉歌(アジア中央部のアルタイ山脈周辺国に伝わるだみ声による歌唱法)]、アフリカン・パーカッション・ユニットのN'DANA(マサト、山北紀彦)、マレウレウ[床 絵美とレクポ(OKIの妻)というアイヌの女性2人によるウポポ、ムックリ] 、居壁 太(アイヌの踊り、掛け声、演奏はなかったが、トンコリ奏者でもある)、金城浩樹(エレキ・ベース、沖縄出身)、それと、アイヌの男女各1名が1曲踊りで参加した。

♪ 第一部が約55分、第二部は約80分となったこのライヴでは、各曲の合い間にOKIや安東ウメ子などによるMCがあった。OKIのMCによると、「アイヌ音楽はリズムと即興」が持論の安東ウメ子は、このライヴに向けてのリハーサルには参加せず、ライヴ当日の音合わせにも3分しか顔を出さなかったという。
『ウポポ サンケ』の録音も、作り込むと歌が死んでしまうという安東ウメ子の意向により、北海道の農場(※)でのレコーディング当日まで、安東ウメ子はOKIに演奏曲を教えず、アレンジもその場で即興的に決めるといった、ほとんどぶっつけ本番の一発録りであったらしい。安東ウメ子はインプロヴァイザーでもあるのだ。(※ 安東ウメ子曰く、「スタジオでの録音は嫌い」)

♪ 集まった観客は大勢の立ち見も含め、200〜300人くらいだろうか。観客の平均年齢がとても高いライヴになると思いきや、20代から60代くらいまでの男女いずれもほぼ満遍なくいる。最初の曲としてOKI & The Far East Bandによる「Topattumi」が披露された後、「サランペ」のイントロが演奏されるなか、客席後方から非常にゆっくりとした歩みでスタッフの女性(ミュージシャンの岡さやか)に手を添えられながら、安東ウメ子がステージに登場した。
マイク・スタンドの前に立った安東ウメ子は、どういうわけか暫く経っても「サランペ」を歌わない。バンドの演奏に違和を感じるのだろうか。その後、安東ウメ子はOKIに歩み寄って何やら耳打ちをしてから、ようやく「サランペ」を歌い始めた。
最初の数曲は、このようなぎくしゃくしたものであったが、リハーサル不足というよりは、安東ウメ子の音楽家としての大きさ、独自のリズム感、インプロヴァイザーぶりを垣間見たと思っている。


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01月31日(土)
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