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M単★ランキン@馬券道場名人の日記
by ランキン
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■番外編:グランパスあの一瞬の輝き
少し前の話ですが、名古屋グランパスエイトのネルシーニョ監督が電撃解任されました。そして昨日、ちょっと前に新加入したばかりの元ブラジル代表のルイゾン選手が退団…。
多くのグランパスサポーターは表情も変えずにこう思ったでしょう
(またかよ…)
グランパスって、何年か前の大岩・平野・望月の(当時)日本代表3選手をシーズン途中同時解雇(結局真相はウヤムヤ…)したり、監督にいたってはほとんどが解雇のような感じ。
親会社トヨタのクリーンなイメージに隠れてますが、結構水面下ではドロドロしたものがあるフロントです。
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私は今はプレミアリーグもセリアAも見ていないので、Jリーグなんてスポーツニュースくらいで流れた時に目にする程度です。
それでも新聞なんかで読んでいるとリーグ再開後は「いつも負けてるな〜」って印象はありました。それにしてもこのタイミングですか…。
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私がグランパスの試合を見てて一番サイコーだったのはやはり★ベンゲル監督時代です。
もう10年ほど前になります。当時はまだスカパーもなく、今ほど簡単に世界中のサッカーを目にすることが難しかった時代でした。
そこに現れたこの監督は、グランパスサポーターに歓喜をもたらしただけでなく、劇的に変わったグランパスを通じて日本中のサッカーファンのド肝を抜いて見せました。
その最大の原動力となったストイコビッチ選手もベンゲル監督が来るまでは、ただの短気なレッドカード野郎でした。あまりにも退場が多いので解雇寸前でした。もっともそのほとんどが審判の判定を不服として「キレ」てしまい暴走してしまったもの…。今となってはJリーグの低レベルな判定に、欧州基準でプレーしていたストイコビッチ選手が「キレて」しまったコトも判るような気もします(苦笑)。
そんなコトが続き、半ばヤケクソで駄目になりかかっていたストイコビッチ選手があれほどの輝きを取り戻し、ユーゴ代表としても救世主的な大活躍したのはグランパスでベンゲル監督と出会ったからでしょう。
ストイコビッチ選手はW杯予選で水曜日には欧州、週末にはグランパスという信じられない強行日程でも健気に出場していました。
普通に移動するだけでも疲れるのに、ましてやサッカーの試合を2つ(それもW杯予選という大舞台)こなすのはとても大変です。
ストイコビッチ選手も様々な紆余曲折な人生を経てグランパスに辿り着いた人でした。サッカーに無知だった私はこの人がグランパスに来た時も「あっそう」くらいにしか思っていなかった。今振り返るととんでもない人が来てたのに(苦笑)。
ユーゴスラビアの複雑な国内情勢により国際舞台から締め出されていたり、相手選手の悪質なプレーによる大怪我などでサッカーがやりたくても、出来なかった時代があったストイコビッチ選手にしてみれば、どれだけ肉体的に大変でも「自分が必要」とされてるという喜びの方が勝っていたのでしょうね。
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Jリーグのお荷物球団と言われていたグランパスは1995年セカンドステージに名古屋を熱狂の渦に巻き込みました。
それまでの16戦を3勝10敗3分という悲惨な成績だったグランパスは1ケ月のJリーグ空白期行なったフランス合宿を経てまさに「生まれ変わり」ました。
リーグ再開後のグランパスはそこからシリーズをまたいで2ヶ月の間、何と15戦14勝1敗という信じられない快進撃を続けたのです。その後やや勢いは衰えたもののシリーズ2位という夢のような成績をあげました。
Jリーグ発足後、それまで毎年のように最下位争いをしていたチームに一体何が起こったのでしょう。
そこで我々が目にしたものは…
流れるようなパスワーク
個性を生かすためのチームワーク
そしてチームを生かすための個性
フラット4と呼ばれる超組織的な守備
チームのために一層の輝きを見せるストイコビッチの美しい個人技
ストイコビッチの影で献身的にプレーするデュリックス
不動のブラジル人DFトーレス
国籍が全然違う選手達が魅せたハーモニー
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09月23日(金)
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