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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■キリマンジャロと19歳の死
日曜日の夕方18:00から、オレはいつもTVで「世界遺産」を観ている。スポンサーはキャノンというクソ企業だが、番組そのものはとてもいい。そこでキリマンジャロが前編・後編と二回にわたって紹介され、オレは前編を観た。5日がかりで登るというその壮大なツアーを観ながら思ったのは、かつてオレが勤務していた高校の山岳部OBのMくんのことだった。たった3つしか年が離れてなかったということもあってオレは彼ととても仲良くなって、休日に将棋を指したり、一緒に何度も飯を食ったという関係だった。
専門学校生だった彼はGWを利用してキリマンジャロに登り、帰国してからマラリアで亡くなった。19歳の死だった。葬式の時オレは感情を抑えきれずに泣いた。彼の父親が千早赤阪村の助役だったということもあって、そこには地方議員達がたくさん来ていて談笑していたことにもオレは腹が立った。
「彼はこの山を登ったのか。」
長いこと封印されて忘れていた記憶が呼び起こされ、そしてどうしようもなく悲しくなったのである。私が勤務していた高校の山岳部はその少し前に卒業生を一人遭難事故で亡くしている。そこでまたしてもこのような悲劇に見舞われたのである。
亡くなる前に彼はどんなことを思っていたのだろうか。彼が最近交際するようになった彼女のことを嬉々として話すのをオレは楽しく聞いていた。クルマの免許を取ってからは彼はいつもオレの家にクルマを運転してやってきた。彼女と楽しく過ごすはずのバレンタインデーの夜にも彼は私の部屋に来て、オレたちは仲良く将棋を指していたのである。作家になりたいと熱く語る彼は、国語教員のオレに惹かれるところがあったのかも知れない。最近読んだ本の話とか、いつまでも話題は尽きなかった。
Mくんのお母さんからその後届いた年賀状にオレは返信を出せなかった。彼のことを今でも覚えてくれている人はどれだけいるだろうか。彼と当時交際していた彼女はその死をどのように受け止めたのだろうか。
オレは何十年も無為に生きてしまった。キリマンジャロに登ることもなかったし、本気で作家を目指すこともなかった。小説は何本か書いただけで投げ出した。投資家としての中途半端なままで終わろうとしている。この先働かなくても暮らせるくらいの蓄えはできたが、世の中を変える大きなことができるほどの資産家になれたわけではない。冒険も何もかも中途半端なままだ。「維新の会」という反社政党を叩き潰したいという気持ちがあるが、だからといって自分が大阪府知事選挙に出て吉村洋文を倒せるかというと、とてもそんな知名度のレベルではないこともわかっている。人格的にはオレの方がはるかにあのクソ野郎よりも上だが、世間にこの江草乗という名が知られているわけではない。
19歳で亡くなった彼のことを思い出すといつも、オレは山岳部の夏合宿で一緒に登った白馬の山小屋で語り合ったことを思う。雨にふり込められた登山者がどんどん小屋に入ってきて、一人当たり畳半分のスペースしかなく、横になることもできずに膝を抱えて語り合ったのだった。
オレはもう老年だ。死ぬまでに何ができるだろう。生きているうちにいったいこれからどんなことができるのだろう。いや、そもそも後何年、自分の時間があるのだろうか。さまざまな持病を抱えて通院しながらどれだけ細く長く生き延びることが可能なのか。
19歳で亡くなった彼はキリマンジャロに登るという夢を叶えて死んだ。それは唯一確かなことである。オレはいったいどんな夢を叶えたと言えるのだろうか。オレは何をやり残したのだろうか。
そんなことを考えていると、昔、甲子園球場である老猛虎ファンから話しかけられたことを思い出した。
「阪神の優勝を三度見た者は死ぬ」
オレはもうとっくに死んでいたのか・・・・ なんで気付かなかったんだ。
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05月21日(火)
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