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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■映画『カムイのうた』〜和人の罪
岩波文庫に収録されている『アイヌ神謡集』の序文で、知里幸恵さんはこのように記した。
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円な月に夢を結ぶ、嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
19歳の若さでなくなった知里幸恵さんの生涯を描いた作品が、今公開されている映画『カムイのうた』である。彼女は祖母や叔母からアイヌの詩である「ユーカラ」を受け継ぎ、それを日本語に翻訳して記録するという偉業を成し遂げた。
アメリカで白人がインディアンの豊かな土地を奪い住民を虐殺したのと同じように、北海道でも和人{日本人}はアイヌから豊かな土地を奪い、彼らから搾取した。それだけではない。学校ではアイヌ語の使用を禁止し、日本語を強制するいわゆる「皇民化教育」が行われたのである。アイヌを「土人」と呼んで彼らを蔑み、差別し続けたのである。その事実を我々は正しく受け止める必要がある。明治維新以降の日本の歴史の中で絶対に誰もが知っておかなければならない大いなる罪なのだ。
このようなことを書くと「反日」というレッテルを貼られ、「自虐史観」であると言われる。X(旧ツイッター)ではネトウヨたちからクソリプがつけられる。どうして「事実」を知ることが「自虐」なのか。そうした事実をなかったことにして過去の罪に向き合わないことこそ大いなる「自虐」であるとオレは思うのだ。
江戸時代、北海道には松前藩が置かれ、アイヌからの搾取の拠点となった。アイヌが供出する熊の毛皮や鮭は、圧倒的に不利な交換比率で奪われた。松浦武四郎は幕府にアイヌの窮状を訴え、その文化の保護を主張した。明治時代になって政府は松浦武四郎を蝦夷開拓御用掛へ任命したが、アイヌからの搾取構造が放置されていることを怒って彼は職を辞した。1899年に制定された「北海道旧土人保護法」とはアイヌの土地の没収や漁業・狩猟の禁止、アイヌ固有の習慣風習を禁止して日本語使用を義務付け、アイヌの「皇民化」を進めるものだった。この名称自体が差別的な法律が廃止されたのは1997年のことである。
本多勝一は「北海道大学文学部にはどうしてアイヌ語学アイヌ文学科が設置されていないのか?」と訴えたことがある。アイヌ語もアイヌの文学も「学ぶ価値がない」と判断されて切り捨てられてしまったのである。しかし、アイヌ文化を一方的に破壊した和人にはその文化を研究して継承する責務があるとオレは思うのだ。巨額の予算を使って『ウポポイ』のような偽善的な施設を作ってもオレには納得できないのである。そのウポポイの展示では松浦武四郎の存在についてはほとんど触れられないのはなぜかとオレは怒っているのである。
『カムイのうた』はすべての日本人が観るべき映画である。それは我々日本人の祖先がかつて犯した大きな罪を理解するために絶対に必要である。日本中の学校で生徒に鑑賞させる時間を作るべきである。戦火にさらされたガザ地区のパレスチナ人の悲劇は日本の歴史と無関係ではない。攻撃を止めないイスラエルを批判する前に、自分たちも加害の歴史を持つことに向き合わないといけない。
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01月28日(日)
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