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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■8月15日に思うこと



 戦後78年経った。NHK総合のファミリーヒストリーで草刈正雄の米兵の父が、正雄さんが生まれる前に帰国してしまったこと、女手ひとつで母が正雄さんを育てたこと、正雄さんが生まれてくる自分を捨てて帰国した父に対してわだかまりを感じていたこと、訪米して97歳の伯母に出会えたこと、そうした一つ一つを通じてオレはあの戦争が起こしたさまざまな悲劇について考えていた。

 原爆投下は多くの人々の人生を突然奪った。しかし、エノラ・ゲイから原爆を投下した副操縦士は自分のその行為を生涯問い続けた。命令に従ってその大量殺人を実行した側にも大きな葛藤があったのだ。戦争に於ける殺人は肯定されるのか。いやそもそも「殺人」を肯定する価値観の方がおかしくないか。

 『はだしのゲン』は翻訳されて多くの国で読まれている。その翻訳の多くはボランティアによって支えられている。商業的な目的ではなく、もっと大切な理由でその翻訳は行われているのである。原爆投下の真実を一人でも多くの人に知らせることは、将来の核戦争の抑止力になることは間違いないからである


 核兵器の攻撃を受けた唯一の国である日本は、世界に向かって核廃絶を訴えていく義務があるとオレは思っている。被曝体験を話す語り部達もみな老いた。日本の政治家はアメリカの核の傘の庇護下にあることを遠慮しているのか、あるいはいつまでも米政府のいいなりなのか、核兵器禁止条約を批准することはない。ウクライナで戦争が起きている今だからこそ日本はロシアに向けて「絶対に核兵器は使うな」と強く主張できるはずだとオレは思うのだ。核の恫喝を交渉の道具にするような外道は国家として最低だと言い放ってほしいのだ。

 いずれどこかの国が核兵器を使うだろう。ちょっとした理由で商店街にクルマで突っ込んだり、無差別に刃物を振り回して人を殺す馬鹿がいるように、ちょっとした理由で核をぶっぱなす為政者が出現しないとは限らない。それが世界の終わりをもたらすことははっきりしているのに「発射」のボタンを押す者は必ず現れるとオレは思っている。恐竜絶滅以上の大きな地球の生き物の変化の節目がこれからやってくるとしたら、その核戦争だとオレは思っている。

 世界が核の炎に包まれ、人類が滅亡してから何億年か経ってから新たな知的高等生物が地上に出現するだろうか。その時に彼らは「地球考古学」という学問で、過去の歴史を解明して、過去に起きた核戦争の痕跡を発見し、人類同士で殺し合った馬鹿な生物を笑うのだろうか。地球という同じ船に乗ったメンバーの中で、どうして殺し合うほどの感情を持つ必要があったのか。個々の国民同士では仲良く出来るのに、政府と政府の間ではどうしてここまで対立しないといけないのか。オレにはやはりわからないのである。国家の面子とか、領土欲とか、くだらない政治的な駆け引きとか。

 ウクライナ戦争を視ていて思うのは、戦争を単なる金儲けだと考えている連中がこの世にいるということだ。それによって武器が売れ、会社に多大な利益をもたらす。たかがゼニのために効率的に人を殺す道具を開発する。それが人の命を奪うものだとわかっていて製造したり研究したりすることはそれ自体が罪ではないのか。オレは武器こそが製造物責任を問われるべきだといつも思うのだ。武器輸出を禁じられた日本に、ただの金儲けのためだけにそれを可能にしようと働きかける政治家がいるのだ。

 たかがゼニのために人を殺すことがもっとも罪が重いことであるように、たかが金儲けのために武器を輸出することの罪深さに気づけない政治家はクソである。そして、そんな政治家を存在させ、当選させていることを我々は反省しないといけない。

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08月15日(火)
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