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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■吉村洋文のウソ101
今、大阪では選挙期間中のせいか、書店の店頭には平積みになって大量の『吉村洋文の言葉101』という資源ゴミ(紙ゴミ)が積み上げられている。関西人の多くがその実態を「維新協賛書店」と知る紀伊國屋書店では特に大きなコーナーを作って並べている。もはや選挙ポスター状態である。
しかし、小規模の出版社から出てそこそこ売れている『維新断罪』という本はなんと、関西を代表する大型書店である紀伊國屋書店では並んでいないのである。オレは北花田のイオンモールにある紀伊國屋書店で、店内の検索端末で調べてみたが在庫もないのである。近くの書店では小さな所でも『維新断罪』は普通に並べられている。どうして大型書店なのに紀伊國屋書店は『維新断罪』を置かないのだろうか。
オレはその店内の検索端末で試しに大石あきこさんの『維新ぎらい』を調べてみた。するとこれも在庫していないのである。そのほかの維新批判本もなぜか紀伊國屋書店では在庫すらないのである。
書店がどんな本を並べるかということは営業上の問題だから自由である。ただ、今回のことから紀伊國屋書店が意図的に「反維新的な内容の本を置かない」という営業方針であることはよくわかる。どうやら都構想の住民投票の時も、大阪市廃止に賛成投票することを誘導するような陳列の仕方だったようである。
大阪では維新の会と特定企業の癒着が見られる。たとえばシャワーヘッドのミラブルとを販売する株式会社サイエンスは維新礼賛企業であることを多くの人が知っている。オレは今回の件で紀伊國屋書店がそうした「維新礼賛企業」であることを初めて知ったのである。
オレは本が好きだ。もしも今と違う職業を選んでいたとしたら、書店員や図書館司書という職業に就いていたかも知れない。だから大きな書店でいろんな本を手に取り、そして大人買いすることが楽しみの一つなのである。そういうわけでオレは自分の行動範囲内の書店にはほとんど足を運んでいる。町の本屋さんがどんどん廃業していくという風潮を残念に思う人間の一人である。
書店の店頭にどんな新刊が並んでるかということは、一つの情報源である。今どんな本が売れてるのか、読まれているのか、それをはかる物差しの一つが書店の陳列であると思っている。
本の中には価値のない本、資源ゴミレベルの本もある。安倍晋三の礼賛本とか、ゴーストライターに書かせている芸能人の本などである。書名は出さないが多くの人が知っている、ウィキペディアの記事をそのまま編集したようなクズ本もある。そういう本は買う価値がない。
今、大阪の書店の店頭には『吉村洋文の言葉101』という本が平積みで陳列されている。オレはそういう資源ゴミにゼニを払う気は全くないので買わないが、中味が気になって少し手に取って読んでみた。そこには彼が街宣の時に語るウソが大量に盛り込まれていた。たちまち気分が悪くなった。
梅田の紀伊國屋書店では巨大な吉村コーナーが設けられそこにあるPOPには「ハートに突き刺さる言葉」などと書いてあるらしい。馬鹿はそれに騙されるだろうが、オレのようなまとこな人間は「アホか」と思うだけである。そしてそんな維新礼賛書店を見捨てて他の書店で買うだけのことである。
維新礼賛本の隣に維新批判本を並べれば、相乗効果で両方とも売れるだろう。まともな書店はそうした売り方をする。しかし「大型書店の使命」よりも「維新とのズブズブの関係」を選んだ紀伊國屋書店はあえて「反維新本を置かない」という選択をしたのである。その情けなさをオレは思い切り軽蔑する。
4年前とは大きく世相が変わった。コロナ禍を経て。大阪では維新の失政の事実を多くの人が知ることとなった。大阪では医療崩壊が起きて日本一のコロナ死者が出た。身内や親しい友人をコロナで亡くした人も大勢居る。そうした人たちが医療崩壊を起こした維新の会の行政能力の低さや、「身を切る改革」と称して公務員をパソナ派遣に置き換えた結果起きたことを知っているのである。オレは政治の流れが変わったと思っている。大阪では確実に「吉村批判」「維新批判」勢力が生まれている。彼らの悪辣さをオレは4年前にはまだ理解していなかったのである。
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03月30日(木)
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