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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■母のスニーカー

 『カンブリア宮殿』というテレビ東京系の番組で、「ニューバランス」というスニーカーが紹介されていた。その番組を見て興味を持ったのか、母から「このスニーカー、どこで買えるの?」と質問された。

 母は87歳になった。昨年3月にコロナ肺炎で一ヶ月入院したときはもう助からないかもと心配したし、無事に退院してからもしばらくは満足に歩くこともできなかった。それでホームセンタ−に行ってシルバーカート(老人用手押し車)を買ったのである。これなら疲れたらそこに座って休むこともできる。

 ただ、母はそれから徐々に元気を取り戻して、しばらくするとそのカートなしでもちゃんとスタスタ歩けるようになったのである。

 そんな母がテレビを視ていて、そのスニーカーを履いてみたいと言い出した。どこに売ってるかなとあちこち見て回ると、なんと近所のイズミヤにそのスニーカーがなり大きなスペースで売られていたのである。種類もかなり選べる。それで母を連れて行った。

 母はひとしきりいろんなスニーカーを眺めてから、最終的にうすいピンク色のような感じのものを選んだ。一部がメッシュになっていて軽い。5000円くらいでお買い得だった。

 さっそく手に入れたそのスニーカーを母は履き始めた。「歩く」といってもご近所に出かけるくらいでそれほど長い距離を歩くわけでもない。それでも帰宅した私に向かって「すごく楽」「歩いてても疲れない」とその良さを強調して話した。

前に買ったウォーキングシューズもそれほど傷んでいるわけではないからまだ履ける。でも年齢を考えれば、今欲しいものは今買った方がいい。だからすぐに手に入れようとした母の選択は正しい。

 考えたら自分が母と離れていたのは大学に通っていた4年間だけである。それ以外の時期は生まれてからずっと同じ家で暮らしてきたのだ。ずっと一緒に暮らし、そして今は老いた母のことを側で見守ることになったのである。

 先日、母と妹と三人で京都に出かけた。出町にあるカフェで少しおしゃれなモーニングをいただき、北野天満宮で梅園を散策し、錦小路でいろんな店を見つつ歩いた。「まるん」というかわいいお菓子ばかりが並ぶお店で、好きなものを選んで箱に詰めて母は自分へのお土産にした。ただ、歩き疲れたのか帰りのクルマの中では眠たそうだった。行きたかった湯豆腐のお店は残念なことに定休日だった。

 自分が親孝行できる時間はもう限られている。父は9年前に亡くなった。母が今のように元気に動き回れる時間もそれほど長くないだろう。母の部屋は二階にあるのだが、いつも階段の手すりにつかまってゆっくり降りる姿を見ると、そろそろ部屋を1階に移動した方がいいのかとも思う。

母はふだんは自分の部屋で、録画したテレビの韓流ドラマを視たり漢字のパズルの雑誌に取り組んだりしている。わからない漢字があると私のところにその雑誌を持ってくる。昼間はご近所の老友たちの家で内職を手伝ったり、そこでお昼ご飯をお呼ばれしたりしてるみたいである。そしてこれは母の希望で部屋に石油ストーブを置いてるのだが、安全なファンヒーターにしない理由は、餅を焼いて食べるためである。

 幼い頃に父を亡くした母は、鹿児島県の坊津で中3までを過ごした。戦時中は何度か米軍の攻撃があって、艦砲射撃を避けて山に逃げ込んだりしたという。母方の祖母は、私の母を含めて四人の子を育てるために丸木が浜というところにあった塩田で力仕事をして働いていたという。その祖母も亡くなったので母の兄妹4人はそろって親類を頼って和泉市にやってきた。母は紡績の工場で働くこととなった。戦後の何もないあの時代、そこにはどんな苦労があったのだろうか。その時に同じ工場で働いていた同僚とは今でも交流があってとても仲良しである。また、坊津の小学校の時に一緒だった級友たちの多くが阪神間に住んでいて、その人達との交流も続いている。

母はいつまで元気でいてくれるだろうか。今の幸せな時間がいったいいつまで続くのだろうかとオレはついつい考えてしまうのである。

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03月15日(水)
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