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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■クジラの有効活用




 大阪湾の淀川河口に迷い込んだマッコウクジラのヨドちゃんは、動かなくなっていたので調べたところ死亡が確認された。松井一郎市長は「海へ帰してあげたい」などと語っていたようだが、本当にもったいない話である。一刻も早く解体して、日本の捕鯨文化を世界にアピールするチャンスなのである。単に鯨油を採取するためだけに世界中のクジラを乱獲した欧米の連中と違って、日本の捕鯨は一つの文化だったということを世界にアピールすればいいのである。

 長崎県の生月島には益富組という捕鯨の組織があって、その元締めの益富家は江戸時代の長者番付に豪商の三井や住友と並んで表記されるほどの大富豪だったのである。対馬海峡を通過するクジラを物見が発見すればのろしを上げて船に知らせ、男たちは勇壮にクジラに飛び乗ってモリを突き刺す。捕らえたクジラは解体工場に運ばれて余すところなく利用されていて、肉は塩漬けにされて長崎などで売られていたのである。ちなみに生月島出身の長身力士のしこ名は「生月鯨太左衛門」である。身長は2m27pもあったという。それだけ巨大ならしこ名に「鯨」を入れるのも納得がいく。

 マッコウクジラの名前を由来は、その体内から竜涎香と呼ばれる貴重な香料が採れるからだ。それで「マッコウ(抹香)クジラ」なのである。自然に手に入るモノはクジラが嘔吐したものが海中を浮遊して海岸に漂着したものだけであり、きわめて貴重である。捕鯨が禁止されている今はその採取の機会は極めて限られているわけで、このような千載一遇のチャンスを無駄にするのはもったいないのである。鹿児島県の坊津という漁村で育った母の話では、浜に死んだクジラが漂着すると、村人が争って包丁を持参してその肉を切り取ったそうである。

 淀川河口のクジラの遺体を海に帰してしまえばそれはただ他の魚の餌になるだけのことであり、何の意味もないのである。「海に帰したあげたい」なんてポエムをつぶやく前に、その価値について理解すべきだ。

 日本の捕鯨文化は伝統芸能と関係している。「文楽」に用いられる道具の中には、クジラのヒゲがないと作れないものがあるという。せっかく苦労して捕らえた鯨を無駄にしないのが日本人の「モッタイナイ」という精神だったのだ。

 マッコウクジラの主食はイカである。世界中の海でマッコウクジラに捕食されているイカの総量は、世界中のイカの漁獲高の60倍だと言われている。クジラが増えすぎることは漁業資源の枯渇につながるのだ。だからきちんとクジラを捕まえることが世界の漁業を守るということになるのだ。日本政府はもっとそれをアピールしないといけないのである。

 大阪湾のクジラが解体されて食べられたということがニュースになれば、世界中の反捕鯨の人たちが大阪市役所に抗議に来るかも知れない。さりげなくそいつらにクジラということがバレないように調理して差し入れて喰わせてやればいいのである。ざまあみろなのである。

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01月14日(土)
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