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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■『Mr. Do!』の思い出
『Mr. Do!』(ミスタードゥ)は、1982年9月に日本のユニバーサルから稼働されたアーケード用固定画面アクションゲームである。当時大学4回生だったオレは、京都・北白川のゲームセンターでこのゲームをよくプレイしたことを思い出す。ハイスコアを記録すると自分の名前を入力することができるため、行く度に1位のところを自分の名前に書き換えたものである。そのゲームに関して、そらくオレは京都で最強のプレイヤーだったはずだ。長時間遊べるので暇つぶしにはもってこいだった。
大学4回生の頃、オレはまるで勉強しなかった。だったら入学当初はもっと勉強したのかというとやっぱり勉強しなかったのだが、大学時代には自転車で旅行したり、バイトしたり、女の子に手紙を書いたりとオレには勉強以外にすることがたくさんあったので勉強どころではなかったのである。
そういう不勉強な自分でも競争率約10倍の大阪府の教員採用試験{高等学校国語科)をスンナリ突破できたのだから、おそらくオレ以外の大学生はオレよりももっと不勉強だったはずである。大学に入ってまで勉強することなどオレには考えられなかった。勉強というのは「受験勉強」で終了するものであり、そこでやめることが物足りないという酔狂な馬鹿だけが2浪、3浪と延長戦の中で勉強を続けるのだとオレは解釈していた。オレにとって大学受験のための勉強というのは、「勉強という苦しみから自分を解放するための通過儀礼」だと思っていた。その苦しいことを突破すればあとは天国が待っている。そうなるともう勉強なんかしなくていいと思っていたのである。
世の中にはその「受験勉強」を勘違いしていて、中学受験みたいな初期の関門で「これを終えたらもう勉強しなくていい」などと思ってる馬鹿も多い。そういう馬鹿な子どもの親もたいてい「合格したら好きなゲームを買ってあげる」などという甘い言葉で我が子を釣るのである。結果としてゲームにはまってしまってそのまま没落していくのである。勉強から引退するのが早すぎるのである。オレのように大学受験まで粘らないといけないのである。
大学4回生のオレはとことん暇だった。大学に顔を出すのは週に一度の卒論演習の日だけである。それ以外はバイトをしたり旅行をしたり、ただ寝ていたりという自堕落な日々を送っていた。もしもファミコンのようなものがあればきっと部屋でずっと遊んでいただろう。しかし当時はゲームというとゲーセンでやるものだった。
ゲーセンで遊ぶときに大事なのはコスパである。いかに投入する金額を少なくして長時間遊ぶかである。動体視力にすぐれていたオレはすぐにピンボールの使い手となってハイスコアを出しまくった。いつのまにか背後に観客がいることもあった。しかし、この『Mr. Do!』に出会ってからはそればかりしていた。自分なりの攻略法を発見してそれで楽しんでいたのである。ゲーセンでのオレの日課は、まず『Mr. Do!』をプレイしてそこにあるその日の最高得点者の名前を自分に書き換えることだった。
大学を卒業してからもしばらくは、京都に行くことがあると必ず北白川ゲームセンターに立ち寄って、そこで『Mr. Do!』のハイスコアを記録した。その後もゲーセンで『Mr. Do!』を発見すると嬉しくなってプレイした。そのうちゲームセンターからその筐体は消えたのである。
当時は他のゲーマーとの交流があったわけでもなく、雑誌を読んでいたわけでもない。自分はただの孤独なゲーマーだったのである。最近になって当時のことが気になって調べてみると、『Mr. Do!』にはバグが存在したことなどがわかった。残機が255に増えるそのバグを知っていれば永久に遊べただろう。
今プレイしても当時のようなハイスコアが出せるわけではない。もしかしたらカラダが覚えて反応するかも知れないが、きっと衰えた視力は追いつかないだろう。もしも手に入ることができるならゲーム筐体そのものを家に置いて遊びたい。スーパーファミコンなどに移植されてるそうだが、そんなものはアーケードゲームの面白さに比べればきっと迫力に欠けるだろうと思うのである。
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11月04日(金)
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