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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■ローカル線は国の宝である
JR西日本、東日本が相次いでローカル線の収支を公表した。おそらく今後の廃止の流れを作るためにアピールしてると思われるのだが、オレはローカル線廃止には反対である。世界は化石燃料の使用を減らし、二酸化炭素排出量削減を目指してるのに、もっともエコな交通機関である鉄道を廃止するというのは世界の流れに対する逆行である。
多くの交通機関の中でも鉄道は特に安全性が高く、その上快適である。オレはふだんクルマで旅行するが、それは他の手段が不便だからである。かつての北海道はかなり鉄道が隅々までつながっていて便利だった。オレが大学生の頃の北海道には標津線や天北線、興浜北線、池北線など主要な地域をつなぐローカル線が存在していて、とても旅行に役立ったのである。北海道ワイド周遊券を使って、とても充実した旅行が可能だったのだ。その楽しみは国鉄が民営化されてJRになったことで奪われたようなものである。鉄道という国家の大切な財産を民間企業に任せることが間違いだったのである。
国鉄がなぜ赤字に転落したのか。それはローカル線のせいではない。新幹線の建設という国家的プロジェクトを背負わされた上に、鉄建公団というものすごく割高な企業による新線建設が重荷になったからである。「赤字額」という点ではちっぽけなローカル線よりも営業距離の長い本線の方が大きい。それをまるでローカル線が赤字の元凶であったかのように報道してつぶしてきたのである。
何もないような田舎であっても、鉄道があるだけで輝いてる場所はたくさんある。たとえば青森県の五能線や、鹿児島県の指宿枕崎線というのはすぐれた観光路線であるとオレは思っている。そうした路線は工夫によってもっと収益を上げることが可能だろうし、五能線の車窓から眺める日本海に沈む夕日は多くの観光客の郷愁を誘うだろう。定年退職して時間のある老人たちが鉄道で旅行しやすいように工夫して、「乗ることが娯楽」である路線をどんどん増やせばいいのである。予約のなかなかとれない豪華な列車だけがビジネスにつながるのではない。日常的に運行する路線の価値をアピールすればいいのである。
鉄道は一度廃止してしまうと基本的に二度と復活できない。旧山陰本線の線路を活用して嵯峨野トロッコ列車が運行されているが、もしもそういうアイデアがなかったらあの線路はそのまま朽ち果てていたのである。日本中にそうして朽ち果てた廃止路線がどれだけあるだろうか。どうしてそんなことになってしまったのか。
広島県と島根県を結ぶ三江線というローカル線があった。時間も掛かるし接続も不便である。地形に合わせて線路を引いたので曲がりくねっていて無駄が多い。そういうわけで廃止されてしまったのだが、もしもこの路線を維持するために日本中の鉄道マニアに声をかけて、「一年に1回は必ず乗れ!」というキャンペーンを打ち、その賛助会員を10万人位集めることができていたら存続できていたかも知れない。
ただ、廃止に追い込まれる理由の一つが「地元民の非協力」という部分である。自分たちは日頃クルマばかり利用していて鉄道を利用しない。それも間違ってるのである。地元住民には鉄道を利用するノルマを課して、「月に3回乗車」などのノルマが果たせないものからは罰金を取るとかして、強制利用を進めるというのも一案である。
オレは年を取ったらのんびり鉄道旅行をしたいと思った。かつてヨーロッパを放浪したときに北欧やドイツ、オーストリアで利用した鉄道は便利ですばらしかった。大きな駅には各国に向かう国際列車が発着していて、ベルリンから乗ったモスクワ行き列車の車内はまさに多国籍だったことを思い出す。
地方ローカル線は国の宝である。ガソリン税がそういう路線を維持するために使われることは交通を体系的に考える意味でありだとオレは思っているのである。
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07月29日(金)
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