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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■橋下徹はヒトラーではない
1月21日に過去に総理大臣も経験した民主党の元代表である菅直人衆議院議員が次のようなツイートをした。
橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし「維新」という政党が新自由主義的政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。
菅直人はこれ以外にもツイッターで維新の会についていくつか書いてるが、読んでいると彼が維新の会のことについてあまりにも無知であり、間違った認識を持ってるかがよくわかる。立憲民主党の中に「維新と戦う会」みたいな組織を有志で立ち上げようとしてるみたいなんだが、きちんと維新のことを知る人を入れないとダメである。政界引退した樽床元民主党副代表あたりを招へいすればどうだろうか。彼は大阪のことならよくご存知だろう。
さて、上記のツイートに関してだが、維新の会の「民を切る改革」を知っているとあの連中が絶対に「福祉国家的政党」ではないことは明らかである。菅直人はそんなこともわからないような馬鹿である。また「弁舌の巧みさではヒットラーを思い起こす」という部分だが、これは「ヒトラーのように弁舌が巧みである」という意味の比喩表現である。日本語の比喩表現にとって大切なのは、「〇〇のように」と例えるときは決してその例えられるものと同じではないということなのだ。だから「橋下徹はヒトラーのように巧みな弁舌」という場合、橋下徹≠ヒトラーなのである。
わからない人のためにいくつか例示しよう。
たとえば「○○の行動はまるで老人のようだ」と書いた場合、〇〇に入る人は決して老人ではない。老人ではない人に向かってその行動を「老人のようだ」と言うのである。同様に「あいつの口調はヤクザのようだ」と例える場合、あいつがヤクザではないことは明白である。比喩表現というのは、ある人の属性の一部分を切り取ってわかりやすく例える表現方法なのである。
この比喩表現には「隠喩」と「直喩」がある。「直喩」というのは「まるで〇〇のようだ」「あたかも〇〇のごとし」という書き方であり、比喩であることが明示されている。「橋下氏の巧みな弁説はまるでヒトラーのようだ」「弁舌の巧みさはヒトラーを思わせる」という意味で語った菅直人の言い方はあきらかに「直喩」である。
いっぽう「隠喩」というのは「〇〇のように」の「ように」の部分が省略されてしまったものである。たとえば「君の瞳は1万ボルトの輝きのようだ」という書き方は直喩だが、「君の瞳は1万ボルト」と書くと隠喩となる。制限された文字数で表現する必要のある韻文や歌詞ではこのような「隠喩」が使われることも多い。もちろん君の瞳は1万ボルトなんかではない。ただ、スパイに向かって「おまえは官憲のイヌか?」と罵る場面などはイヌを比喩表現に使ってるのかそれともその単語自体にスパイの意味を持たせているのかが曖昧なのである。
菅直人が「弁舌の巧みさではヒットラーを思い起こす」と書いた部分は、高須克弥とか麻生太郎、石原慎太郎のようなヒトラーを崇拝しそうな方々から見れば誉め言葉なんだが、菅直人が誉め言葉で使うはずがなくてここは「ヒトラーのような危険な詭弁野郎」という意味で用いてるのである。ただあくまで「比喩」という日本語表現の特性から考えれば、やはり「橋下徹=ヒトラー」という意味ではない。
ここまで書いてきて、読んだ人が「そんなおまえみたいな反維新のクソ野郎の言ってることなんてあてにならない」と言うかもしれないが、オレは国語の教員免許を持ち、高校で教壇に立っている人間である。そのオレが日本語の修辞法について語っているのだからそこらの素人が勝手なことをほざいてるのではないということを理解して欲しい。
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01月31日(月)
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