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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■東大刺傷事件についての私感
共通テストの初日、会場になった東京大学で受験生に対する無差別テロを行って、3人に対する刺傷事件を起こしたということで愛知県の東海高校の2年生の生徒が殺人未遂の容疑の現行犯で逮捕された。その少年は大量殺人事件を起こした後で自分も切腹して死ぬつもりだったという。彼をそのような精神状態に追い込んだものはいったい何だったんだろうかとオレはあれこれ考えてしまうのである。
テレビで放言するしか能のない無責任な連中は「受験だけが人生じゃない」「医学部だけが人生じゃない」と語る。かつての自分の浪人体験をラグビー全国大会のせいにした橋下徹は「成績が伸びなかったのは自己責任」と語る。しかし世の中には「受験だけが人生」の人もいれば「医学部に入れなかったら親に勘当される」ような人もいるのである。秋篠宮家に生まれて本来ならば気楽な人生を送ることができたはずの悠仁親王が、たまたま皇后陛下に男児が生まれなかったために将来の皇嗣としての人生しか用意されてないという不条理を世間の人はどう受け止めているだろうか。自分の人生を自分で選ぶことができるなんてことはとても幸福なことなのである。
オレの両親は貧しい露天商だった。たまたまものすごく記憶力が良くて成績もよかったオレは物心ついた時から学校では優等生だったし、高校受験も学区内で一番入学試験の偏差値の高い高校に進学できた。小説が好きでなんとなくモノ書きになりたいと思っていたオレは、医学部出身の作家が多いことを知り自分も地方の大学の医学部に入りたいと思った。それで信州大学の医学部が第一志望だったのだ。それはただ単にサイクリングで何度も訪れた諏訪が好きだったから、その土地で学生生活を送りたかったからである。
オレが尊敬するSF作家で豊田有恒さんという方がいるが、彼は東大理Vと慶応・医の両方に合格し、慶応に進んだが中退している。当時よく読んだ渡辺淳一もやはり医学部出身だ。だからオレは、医学部に入るのは医師になるためではなく作家になるための一過程としてとらえていたのだ。そして地方の国立大医学部なら自分は十分に入れると思っていたのである。
オレが高校2年の時、信州大医学部は生物が必須になり、生物の授業をちっともまじめに受けてなかったオレは志望校の変更を迫られた。そうなると信州大以外の医学部になるわけだが、具体的にどこの大学に入ろうということは考えていなかったのである。
オレが最初に大学受験のための模試を受けたのは高校2年の3学期だ。だからそれまでのオレは自分の能力がどんなものなのか、それは受験生の中でどんな位置づけになるのかなどということが全く分かっていなかった。オレが意識していた物差しは、通知表に記入された学年席次やクラス席次であり、自転車競技に熱中していた高校1年の時のオレは学年495人中481番というひどい席次だったこともある。45人クラスの44位だ。そこでもオレよりも下はいったい誰だろうなどと考えていた。東大や京大なんてありえないというのが高校1年の時のオレの成績である。数学で0点だったこともあれば、英語で赤点をとったこともあった。
国語と地理だけは得意でクラスの上位だったオレに、春休みに英語の特訓をしてくれたのは当時の国語教師である。授業の前にどれだけ時間をかけてでも全文訳出来るまで予習するという習慣をつけたことで、オレの英語の成績は劇的に伸びて、高校2年の終わりごろにはクラス内席次も一桁台になった。まさか自分がその田舎の進学校で学年10位くらいの位置につけていたなんて、河合塾の全統模試を受けるまでわからなかったのだ。
高校2年ということでその模試はまだ社会、理科が1科目だった。地理Aと物理Tはほぼ満点取れる力があった。まさかできなかったはずの数学Tで高得点できていたとは思いもよらず、高校の先生方もびっくりしていた。軽いノリで書いた京大医はB判定、工学部原子核工学科はA、慶応医学部はB、学習院大理学部数学科は志願者中1位だったかな。とにかくものすごい好成績だったのである。オレは舞い上がった。ただその成績は「共通一次」の可能性だけで、二次試験の記述力は除外されている。
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01月18日(火)
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