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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■暴発型犯罪についての一考察
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この世で一番無敵なのは、何も失うモノを持たず、死ぬことによって失うモノが自分の命だけという存在である。
マツダの工場内でクルマを暴走させて多くの人をはね、死者まで出すに至った事件で、殺人未遂容疑などで逮捕された引寺(ひきじ)利明容疑者(42歳)にとって、失うモノは何もなかった。彼が現在就いている時給1000円の仕事は、彼にしてみれば自分を正当に評価してくれたものではなかった。そんなものはいつでも投げ捨てられる存在だった。オレが想像したのは彼のこれまでの人生の中で、女性とつきあったことがあったのだろうかという疑問である。もしも彼が結婚して家庭を持ち、守るべき「家族」を持っていたのならこのような犯行に及ぶことは決してなかっただろう。
40年前の高度成長の時代と、今との大きな違いは若者の非婚率の高さである。オレが小学生の頃に使った社会科の教科書は今考えると興味深い。集団就職の列車に乗り込む若者の写真があったし、大阪の運河で水上生活する人々の船の写真もあった。水上生活者は確か大阪万博の頃になくなったのじゃないか。宮本輝の小説「泥の河」に描かれた時代の終わりにオレは生まれた。あの猥雑でなつかしい時代の空気を、少なくともオレはある程度理解して育ってきたし、オレの両親はどっぷりとその時代を生きてきたのだ。
「always〜3丁目の夕日」という映画に登場したような、集団就職で街に出てきた若者たちはおおむね20代のうちに結婚し、子供を持ち、都会の団地や長屋、文化住宅と呼ばれた集合住宅などでその生活をスタートした。あの頃と今との違いはなんだろうか。みんな貧しかったが、貧しいという点でみんな同じであり、それ以外の要素は個人の資質と能力だけだった。
それから40年経った。何が変わったのか。それは「みんな貧しい」状況ではなくなったということである。格差がどんどん拡大した。その格差の中でも大きかったのは教育の機会格差と結婚の機会格差ではなかっただろうか。
社会はもはや「安定」を与えてくれなくなった。競争社会に落ちこぼれてしまった若者にとって正社員としての就職が困難になってきた時、その不安定さは「結婚」の機会も奪っていった。若者の非婚率の高さは男性の正社員率の低さと密接に関連する。もちろん女性の正社員率は上昇しているかも知れないが、それは若者の非婚率をさらに上昇させるだけである。
かつて中卒や高卒でマツダやトヨタという日本を代表するような企業の工員になるということは、給料はさほど上昇しないかも知れないが確実に生活の長期安定をもたらした。終身雇用制というのはそういうものである。会社というのは多数の従業員を抱えた大きな家族みたいなものであり、社宅があればそこでさらに共同体意識を深めることになったのである。
なぜ日本の企業はそうしたよい部分を捨ててしまったのだろうか。なぜ欧米の真似をすることで自分たちの持っていた良きものを失ったのか。転職を多数繰り返すことは欧米ではキャリアアップなのかも知れないが、日本の場合それはマイナスの方向に働いた。
従業員を「家族」のように大切にすることをやめ、ただの「労働資源」として必要な時にだけ使うようになった時(つまりは欧米化ということなのだが)、日本型の雇用システムは崩壊した。安定を失った若者たちは社会に投げ出されて浮遊することとなった。結婚もできず、家庭を持たずにそのまま年を重ね、いつまでも親に寄生してその年金をあてにする者や、引きこもって自分の部屋から出ない者が出現した。政府の間違った持ち家政策で供給された多くの建て売り住宅は少なくとも若者に自分の部屋という「引きこもるための空間」を用意してくれた。結果的にますます若者は孤立することになったのだ。
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06月24日(木)
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