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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■ペットの売買は禁止すべきである
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動物愛護の精神の根本とは何か。それは動物の権利を尊重することである。権利とは何か、人間における基本的人権と同じく、さまざまな自由を尊重することである。しかるにあのペットショップの惨状はどうか。犬や猫に値段が付けられて並べられ、売れ残ったペットは最後は殺処分されるという。こんな権利侵害を許してもいいのかとオレは憤るのだ。人間にとってペットは奴隷以下の存在なのか。
かつて我々の祖先は奴隷という仕組みを持っていた。日本にもそれに近いものはあったかも知れないが早い段階で消滅した。しかし西欧ではそうした仕組みはごく最近まで残存していた。欧米人の唱える人権思想がただの付け焼き刃でしかないことは、連中の人権意識がたかだか数十年ほどの歴史しかないからである。日本人のことを同じ人間とは思っていないから理不尽な外交姿勢を貫けるのだ。アメリカが日本をただの属国としか思っていないのもそれが根本の理由である。
捕鯨問題などで日本は世界からバッシングを受けている。しかし、今ここで日本が世界に先駆けて「ペット売買禁止」という方針を打ち出したらどうだろう。少なくとも日本は世界に対してその先進性をアピールできるはずだ。「日本人はイルカを殺す」「クジラは賢いから殺してはいけない」などと日本を批判する国々に対して、「我々はすべての動物の権利を同等に考えている」と強くアピールできるのである。これは画期的なことである。
犬は自分をかわいがってくれた飼い主のことを忘れないという。もしも犬がただの「生存本能」だけで生きているとすれば、「星守る犬」のようなお話はありえないだろう。自分の前に飼い主の亡骸があり、飢えているならば迷わず生存本能に従って犬は飼い主を食べることだろう。なぜそうならないのか。それは彼らが人間を自分たちと対等の仲間だと考えているからだ。もちろんすべての犬たちがそうではなく、本能レベルの行動に走ってしまう個体もあるだろう。しかしそれは人間も同様である。危機に陥って共食いをする者もいれば、最後まで人間の尊厳を失わない者もいるのと同じことだ。
飼われている立場の犬や猫は、自分の飼い主を生活を共にするパートナーととらえており、喜怒哀楽の感情を持っている。そう、彼らには「こころ」があるのだ。決して彼らは「モノ」や「商品」ではない。好き嫌いの感情もあるし、子孫を残したいという気持ちもある。親子の情愛もちゃんとある。それなのに人間はペットの犬や猫に対して不妊手術を行っている。これは動物の権利に対する重大な侵害ではないのか。もしも人間がその同意を得ないままに不妊手術を行われたらどうか。不同意堕胎させられるということがどれほどの悲しみを母親に与えるか。人間に対して決して行わないことを、ペットの犬や猫に対してなら平気でできてしまうのはどうしてなのか。彼らの権利はいったいどこに置き去りにされたのか。
もしも人間に値段が付けられてショーケースに並べられていたらどうだろうか。女奴隷はその容姿や年齢によって値段がつけられ、男奴隷は労働力としての価値に応じた値付けがなされていればどうだろうか。現代ではそのような人権侵害は決して容認されないだろう。しかし、ほんの200年前にはそうした奴隷売買は日常だったのだ。今、ペットショップで犬や猫に値段が付けられて並べられている状況はそれとどこが違うのか。人間だけが他の動物に対して君臨して支配することが許されるのか。地球上でのそれぞれの動物の持つ権利はそれぞれ同等ではないのか。なぜ人間だけが一方的に他の動物の権利を侵害することが許されているのか。いや、そんなこと誰も許してはいない。人間が勝手にやっているだけのことだ。
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06月03日(木)
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