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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■大阪府の高校教育のあり方について
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大阪府の橋下知事は、貧しい家庭でも努力すれば高い学歴が得られるようにと公立高校の復活に取り組んでおられる。私学教員のオレとしてはぶっちゃけた話、ライバルである公立がよくなってもらうと困るのだが。十数年前に「こんなことやってると公立はダメだな」と思ってオレは公務員を辞めて飛び出し、その予想通り公立はその後一気に没落した。オレの母校である生野高校は一時は京都大学の合格者を30名近く出していたが、最近は2、3名である。もう進学校とはとても呼べないお粗末な状況になってしまった。そんな中で橋下知事の打ち出した方針は、公立高校の中から10校ほどをスーパー進学校としてセレクトして、そこだけ学区制をとっぱらって大阪府全域から受験できるようにして競争させることと、その入試を他の公立高校に先立って2月中に実施して、高校段階で私学に流れる生徒を取り返すという作戦だった。
もしもそんなことをやられれば、私学は大打撃である。限られた成績のいい生徒を奪い合うわけだから、それが根こそぎ公立にとられることになる。また受験パターンも変化する。これまでは「滑り止めに私学の合格を確保→本命の公立高校をチャレンジ受験→もしも公立トップ校に不合格なら私学に入学」というパターンだったのが、これからは「スーパー進学校にチャレンジ→失敗したらレベルを落とした公立に確実に入学」というパターンになって、私学の出る幕がなくなってしまうのである。
しかし、実施されれば再び大阪で公立高校が君臨する可能性があるその橋下案に対して、中学校長の多くが反対したという。どうもオレにはわからないのである。何で反対するのだろうか。まあそういう反対によってポシャってくれる方が私学にとっては好都合なのである。
ここで大阪府以外の方のために、大阪の公立高校の歴史について簡単におさらいしておきたい。大阪府はもともと公立高校が圧倒的に強く、その公立高校の頂点に立つ橋下知事の母校・北野高校は京都大学の合格者1位となっていた。他の公立高校も三国丘、天王寺、大手前、茨木とそれぞれ京大、阪大へ多くの合格者を出していたのだ。東京大学の合格者がそれほど多くなかったのは地域的なものであり、ただ単に受験しに行かなかったからである。私立高校は公立のおこぼれをいただき、どちらかというと関関同立などの有力私大を目指させるか、あるいはもっと出来の悪い箸にも棒にもかからないような難儀な生徒の受け皿となっていたのである。
さて、1971年に大阪府知事となった黒田了一は、老人医療費無料化とともに公立高校増設を公約として掲げた。「15の春を泣かせない」というスローガンで公立高校の数をほぼ倍増させたのである。そうして増えたのはほとんどが全日制普通科で一学年12クラス45人学級のマンモス校であった。これは私学にとっては存続の危機であった。黒田知事の2期8年間に公立高校はどんどん造られたのである。その結果として大阪府では最底辺の成績の生徒も公立高校がカバーすることになってしまった。中学の授業に全然ついていけてなくても、ちゃんと偏差値ランキングの輪切りによってそれに合わせた公立高校に入れた。公立高校の入学試験で9割近く取っても不合格の高校もあれば、1割くらいしか取れなくても合格という信じられない格差が出現したのだ。オレはそのことにどうしても納得がいかないのである。
およそ高校教育を受けるに値しないレベルの低学力の生徒までも、府民の税負担によって運営される公立高校が引き受ける必要があったのかどうか。そうした高校は当然のことながら荒廃し、校内暴力が発生し、教室は落書きだらけとなり、中退者も多くもはや高校の体をなしていなかった。それらの高校は「指導困難校」「底辺校」と呼ばれることとなった。
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02月08日(日)
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