ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
[18676451hit]
■ジャストシステムの夢
ブログランキングの投票いつもありがとうございます。クリックすれば今のランキングが何位かを確認できます。読者獲得のためにご協力をお願いします。秘密の京都は和菓子店データを更新中です。新しい記事をごらんになってください。
オレは日本語ワープロとしてずっと一太郎を使い続けている。最初に使った一太郎はVer3だった。その後Ver5になってからそれを一番長く使った。一枚のFDですべて収まったVer3を、初代98ノートである9801Nで使っていたことを思い出す。モノクロ液晶にNEC製のV30というCPUを載せたマシンだった。Ver5になってHDDが必須となった。確かFD15枚くらいで提供されていて、HDDにインストールするのがなかなか大変な作業だった。その後Ver5の一太郎を2000年頃までは使っていただろうか。長いことオレはDOSマシンである98ノートをメインで使っていたからである。今はWINDOWS/XP上で動く一太郎2004を使っている。毎年のように新Verが出てくるのだが、一太郎の機能はVer5の時点でほぼ完成していたと言える。今、オレが試験問題を作るのに使ってる機能は、Ver5の頃にはほとんど搭載されていた。
かつて一太郎がWINDOWSに先駆けて登場させたWINDOWシステムがあった。ジャストウィンドウと呼ばれるモノである。オレはそのジャストウィンドウを搭載したパソコンで、他のMS-DOSアプリもそのジャストウィンドウに登録して、今のWINDOWSが持ってるようなGUIの機能を使っていたのである。まだWINDOWS/95が登場する以前のことだ。しかし、そんなものが普及して日本から世界標準になってしまっては困るので、通産省を通じてマイクロソフトは圧力をかけてきた。その一方で富士通などのパソコンメーカーに対して、出荷時にWINDOWS/95にMSワード、エクセルを搭載した形で販売すること(抱き合わせ販売)を強要した。この抱き合わせ販売に多くのパソコンメーカーが屈したこと、そしてジャストウィンドウをより進化させたジャストウィンドウ2の開発がストップしたことでマイクロソフトは日本支配を完成させたとも言えるだろう。
もしもあの時、通産省の官僚がビルゲイツに屈することなく国産品のジャストウィンドウの擁護に回っていれば、あるいは現在の世界標準はWINDOWSではなくてジャストウィンドウだったかも知れないのだ。そうなればジャストシステムの浮川和宣社長は世界一の大富豪になっていたかも知れない。そして世界のパソコンユーザーはヴァージョンUPするたびに重く大きくなってパソコンを買い替えることを強要されるWINDOWSに悩まされることもなかったのかも知れない。もっともジャストウィンドウがMS-DOS上で動く一つのアプリケーションであったという宿命を考えれば、ビルゲイツがなんらかの仕様変更をMS-DOSに与えるか、あるいはMS-DOSそのものに莫大な使用料を課すことで対抗してきたかも知れないのだが。
真偽のほどは定かではなく、単なるウワサのレベルでしかないのだが、ジャストシステムの社員の中にはマイクロソフトに引き抜かれた者もいたという。もっとも用済みになればさっさと捨てられたというオチがつくのだが。もしもその話が本当ならば是非とも関係者から話を聞いてみたいものである。
日本語入力システムとしてATOKはMS-IMEなどよりも遙かに優れているとオレは思っている。もちろん自分が使うパソコンではATOKが標準だ。しかし、職場のパソコンを起動するといつもMS-IMEが自然に立ち上がる。いちいち切り替えないとATOKは使えない。世間にはワードしか使えない人が増えた。いや、ワードしか使えないといういい方はおかしいかも知れない。ワードを使うことがパソコンユーザーの標準となり、オレのような一太郎ユーザーの方がマニアックな変わり者ということになってしまったのが現状だからである。
[5]続きを読む
02月02日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る