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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■学ぶことの価値はなぜ失われたのか?
かつて「勉強すること」というのはそれ自体に価値のある行為ではなかったか。何故その価値がこれほどまでに貶められたのか。なぜ「無知」を売り物にする芸人たちが闊歩するようになったのか。そして一国の首相までもが「無知の王」として君臨しているのか。「知」の価値がこれほどまでに失われた時代がかつてあっただろうか。オレはそれを嘆かわしく思うのである。
いまもしも「バカのままでも東大に入れる!」という本を出版すれば爆発的に売れるだろう。世間が求めているのは「東大に入れるような知」ではなくて「知なんかを身につける努力なしに東大に入る方法」である。つまり、世間が必要としているのは「東大に入った」というキャリアであって、「東大に入れるほど勉強した」という事実ではない。受験勉強というものがすべてそうした形で変質してしまった結果、真に「知」を求めるような学生はどんどん競争から脱落し、最低限の学習時間で要領よく受験をパスする者たちが生き残り、さらに彼らの多くが「知」そのものに対して価値を感じていないという事実が事態を悪化させるのである。
受験生の学力レベルはどんどん低下しているという。そんなことは当たり前で大学の定員が変わらないのに18歳人口が減少してるからで、人口が200万から100万に減れば賢い受験生の実数も半減するのが当然なのに、東大や京大の定員は20年前とほとんど変わらない。地方の国立大にまで優秀な学生を行き渡らせることは実際の所無理になってしまったのである。今、日本中の大学を支配しているのは「無知の集団」である。どうして人口の減少に合わせて大学の定員を減らさなかったのか。なぜ国立大学の定員をたとえば18歳人口の5%というふうに制限しておかなかったのか。今や日本の大学生は「世界一お馬鹿な若者の集団」と成り果てているのである。
オレは昨年末に駿台予備校の主催する研究会に出席した。京大、阪大、神戸大を志望する受験生の動向と、駿台の出題した実戦模試を通して来年の3大学の入試を考えるという内容だった。そこでも少し話題になったのは、最近の受験生のお馬鹿ぶりだった。たとえば京大実戦模試の記述式問題の解答例(誤答例)がいくつか紹介されていたが、京都大学を志望する前に中学の勉強をやり直せよといいたくなるようなものもあった。
数年前だったか、センター試験で古文の係り結びの問題が出題されたことがあった。ラ行変格活用の「侍り」という動詞を活用させて空欄に補うという基本問題だが、係助詞の「ぞ」「なむ」が前にあれば連体形の「侍る」、「こそ」が前にあれば已然形の「侍れ」というふうに基本形から活用させればいいわけで、そんなことは高校で古典を勉強した者は100%知ってることだとオレは思っていた。しかし、実際の現役受験生平均得点率は「ぞ→侍る」が約50%、「こそ→侍れ」が33%というところだったという。駿台予備校の説明では、この問題の駿台生の正解率がそれぞれ67%、55%と向上しているということだった。しかしオレは「浪人して駿台予備校に行ってもまだ係り結びさえわかっていない馬鹿が存在するのか」ということに驚きを禁じ得なかったのである。
係り結びのわかっていない者は「仰げば尊し」の歌詞の意味はわからないだろう。「今こそ別れめ」の「め」は、前に「こそ」があるから「め」なのだということなど想像したこともないだろう。古典を読むということは、そんな基本知の積み重ねなのである。そうしたことを正確に理解することの果てに「源氏物語」のような難解なものが読めるようになるのだ。しかし今の受験生が求めるのは「文章の意味なんかわからなくても要領よく点数が取れる方法はありませんか」ということなのである。
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01月01日(木)
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