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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■大阪府の高校教育のあり方について
しかし、大学がやたら増加してどっかに入れるようになったことと、18歳人口がピーク時の7割くらいに減少したことで浪人生自体が大幅に減少した。関関同立などの私大上位校は定員を大幅に増やした。関関同立はこれまで偏差値60以上くらいをカバーしていたのが、53くらいまで下に降りてきたのである。そうすると関関同立の下の産近甲龍(京都産業、近畿、甲南、龍谷)クラスは偏差値50以下の受験生を拾うことになった。玉突き的にどんどん入学試験の偏差値レベルが下がっていったのだ。最底辺の私大は希望者全員入学という状況になった。もちろん定員を満たせればまだマシであり、定員を集められない大学も次々出てきたのである。その結果、公立高校の底辺校とされる高校からもそうした大学には入れるわけで、見かけの大学進学率は向上した。底辺校とされる高校の進学率が向上したからといって、中味が改善されたわけではない。大学が誰でも入れるようになっただけである。荒れた高校から、ニート養成所みたいな大学に進学して、そこで講義の間はゲームをしたりメールを打ったりして過ごす連中が増えただけのことである。とある私立女子短大で教える友人は語る。「昔は学生の私語が多かったけど、最近はみんなメール打ってるから静かになりました」と。
スーパー進学校の設置の次にやってくるのはおそらく中高6年一貫の公立校の設置だろう。そうして中学段階から私学に奪われた優秀な生徒を公立に取り返すという政策を橋下知事が繰り出してくる可能性は高い。実際京都府や和歌山県では中高一貫の公立高校がすでに設置され、優秀な生徒を集めている。
私学教員であるオレは正直言って、あんまり公立が強くなって欲しくない。いい生徒が奪われてしまうからだ。しかし、私学の授業料の高さを思えば、貧しい家庭の子弟であっても高い学歴をつけるチャンスを与えたいという橋下知事の意図することはもっともだと思う。そこでオレが考えるのはもっとも学力が低い層を公立高校がカバーする必要があるのかということだ。入学者の3割、4割が中退してしまう高校を維持するためにどれだけの府民の税金が使われていることか。授業をろくに聞かずにDSのマリオカートをクラスのみんなが通信対戦してるような連中のために、生徒一人当たり30万〜40万の公費がかかっているのである。それこそが大いなる無駄ではないのか。
そもそも勉強をやる気がないし、学力も低いけど高校の卒業資格は取りたいという連中は、高くても授業料を負担させて私学にはいるべきではないのか。それが受益者負担というものではないのかとオレは思うのだ。そのレベルの公立高校はすべて解体して、資金も教育資源も一定以上のレベルの高校に集中させる。そして教育困難な生徒は私学に引き受けてもらう。その代わり私学には補助金を手厚くして、貧困故に学力が身につけられなかった生徒たちのための奨学金の給付制度も充実させる。しかし、それは単なるバラマキではなく、やる気のない生徒には与えないで即座に打ち切る選別が必要だ。きちっと勉強しないと公立高校に入れないということになれば、崩壊している中学教育の現場も建て直すことができる。今は「勉強しなくても誰でも入れる公立もある」から勉強しないのである。
もはや公立学校の教員ではなくなったオレには大阪府の公立高校のあり方について語る資格はない。もしもオレがそのまま公務員の身分を保っていて、どこかの公立高校でその学校を建て直そうともがいていたのならば公立高校再生プロジェクトの企画立案者として関わることもできたかも知れないが、今は全くの部外者である。どっちかというとライバルであり、敵である公立高校が自滅することをひそかに望んでいる立場である。もしも橋下知事が大阪府の教育建て直しのためにオレを起用してくれるとしても、少なくともオレが満足するような条件を提示するだけのゼニは大阪府にはないだろう。ボランティアで引き受けてやる気はオレには全くない。公立高校時代のかつてのオレの恩師たちももうほとんど鬼籍に入ってしまった。自分が世話になった教師がもう一人も残って居ない母校にはもう何の感慨もない。伝統校の文化を破壊するというのはそういうことなんだ。
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02月08日(日)
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