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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■誰が少女を殺したか〜集団の悪意について
 一方、自室に残されていた5年の林間学校時の集合写真には、同級生15人の顔にボールペンの先のようなもので「×」印がつけられていた。「もしもひとつだけ願いがかなうなら?」との質問が書かれた市販のプロフィル帳には「学校を消す」と書かれていた。
 明子さんの小学校は学区内に農村と新興住宅地が混在する。6年生は2クラスだけで、児童の一人は「上村さんをいじめるグループがあった。上村さんは『ちょっとどいて』『あっち行って』と言われ、悲しそうな顔をしていた。注意する人はいなかった」。別の児童はこうも言う。
 「いじめの中心になる子が何人かいて、ほかの子は何をされるか分からないから逆らえない。クラスはバラバラで学級崩壊みたいな感じだった」

 明子さんへのいじめが自殺の引き金になったことは間違いない。両親はそうした決着を望んでいないかも知れないが、ここではやはり裁判を起こして、加害者側の子どもに対して責任を取らせるべきだと思うのである。少なくともボールペンの先で×印のついている者すべてに対して損害賠償させることが、このようないじめ事件の悲劇を起こさないためにも必要なのではないかとオレは思うのだ。

 母親がフィリピン出身であることを明子さんはどのように受け止めていたのだろうか。彼女がもっと大人になっていれば、そして周囲がちゃんと守ってやることができていれば、自分の出自にしっかりと誇りを持って生きることができただろう。しかし、その機会は永久に失われた。「お母さんのせいでいじめられるのよ!」といった感情はもしかしたらあったのかも知れない。しかし、大好きな母にそんな気持ちをぶつけたとして、自分の大好きなものの存在を自分からどうして否定できるだろうか。

 子どもの狭い世界の中では友人関係というのは世界のすべてである。教室に自分の居場所がないということは、自分が全世界から拒絶されているようなものである。それがどれほどのストレスであるかを大人は想像することさえできないのだ。子どもは大人が想像するよりももっと複雑でいろんなことを考えている。父親の都合で4度も転校しなければなかった明子さんは、そのたびにせっかくできた友人から切り離されてしまう。新しい環境で新しい仲間をもう一度作り直さないといけない。しかし、今度自分がやってきた桐生市の小学校は自分を受け入れてくれない冷たい集団だった。中学生になれば別の学校に行けるはずだった。しかし、卒業までのあとわずか数ヶ月をがんばって耐えていく気力はもう明子さんには残されていなかった。

 教室内にきちっと秩序が維持されていれば、教師からの指導も一定の効果を上げるだろう。しかし学級崩壊していればそんなことは不可能だ。無秩序になった世界で児童たちは自分で自分の身を守るしかない。今回の事件もそうした無秩序な世界で起きたのである。その世界ではいじめの加害者たちが絶対権力であり、教師はその権力者の存在に気づきながらその支配を排除できなかったのだ。

 彼女はもう休みたかったのだ。自分の存在をひっそりと消し去ることで、自分の抱えた悲しみもつらさもすべて消し去りたかった。これまでがんばってそのいじめの中で生きてきた気力が、ある日すーっと消えてしまって、がんばって生きていこうという気持ちがどこかに逃げていって、いっそもう楽になろうと思ったのかも知れない。

 今もいじめを受けている子どもたちはその日々をどのように受け止めているのだろう。自分が受けている苦しみからどうすれば逃れられるのか、それを可能にできるのは誰なのか。学校に乗り込んでいじめっ子をぶん殴ってくれる親もいなければ、カラダを張っていじめを阻止してくれる教師もなく、自分も一緒にいじめられるのを覚悟して守ってくれる級友もいない。いじめを受けている多くの子どもたちはそうした八方ふさがりの中で日々を耐えているのだ。周囲の大人たちがその存在に気づくためには、ただアンテナを敏感にするしかないのだ。


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11月05日(金)
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