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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■ヤクザとカタギの違いについての考察
 ヤクザの世界では、カタギの衆にとって禁止されている多くのことが日常になる。賭博や麻薬、管理売春、脱税などの法律に違反した行為や、賄賂、さまざまな不正などもヤクザの世界のシステムの一つである。もちろんそれらの多くは法律に違反することだから検挙されるというリスクを負う。しかし、すべて検挙されるわけではない。警察はヤクザの存在を黙認しているからある程度までそのシノギを許している。麻薬や覚醒剤の売買はヤクザのシノギの一つだが、警察が取り締まるのはカタギの衆にまで覚醒剤を売りさばこうとする行為であり、流通がヤクザの中で完結している場合は介入してこないのが普通である。

 ヤクザとお友達になったりつきあったりする必要があるのは、ヤクザな仕事をしている人たちである。そう、この世には暴力団組員以外にもヤクザなお仕事があるのだ。作家やスポーツ選手がそうである。そして相撲取りも、歌手も、政治家も、みーんなヤクザなお仕事なのである。CDが売れなくなったら歌手は生活保護を受けられるのか。落選したら政治家は生活保護を受けられるのか。否である。そういうリスクの多い仕事を選んだ以上、そんな逃げ道を作るのは卑怯なのだ。そんなことを許してはならないのだ。失敗したら飢え死にしてもいいという覚悟が必要だ。それがヤクザという生き方なのである。それがヤクザの美学なのである。

 相撲取りがヤクザである以上、賭博をしているのは日常茶飯事なのであり、全くおかしくない行為なのだ。サラリーマンが野球賭博で50万や100万を賭けるのは許されないが、ヤクザはそれが許される。相撲取りになるということ自体がハイリスクの選択であり、その中で幕内力士にまで昇進できるのはほんの一握りである。そんなヤクザな世界で日々真剣勝負をしている方々がカラダを張って自分の稼いだゼニで賭博をして、どこがいけないのか。カタギの生活をしているぬるい連中がそれを批判する資格はない。もともと住む世界が違うのである。同じ価値観やルールを押しつけることは間違っているのだ。

 法律がすべての人に同じように適用されてると思ったら大間違いである。犯罪をしても政治家の場合はお目こぼしになっている場合がきっと多いだろう。芸能人もそうだ。たまに酒井法子のようにつかまる人もいるが、あれは運が悪かっただけである。多くの芸能人は麻薬や覚醒剤を見つからないように巧妙に入手している。そして巧妙に脱税している。ヤクザな世界に身を置いてるからこそそれができるのだ。芸能人に麻薬や覚醒剤を供給している広域暴力団が存在しているのは確実だが、警察はそこまで捜査の手を伸ばすことはない。お目こぼしすることが昔からお約束になっているのだろう。

 ヤクザにはさまざまなシノギがある。賭場を開帳してシノギにしている者もいれば、管理売春をシノギにしているものもいる。企業の恐喝をシノギにしている輩もいる。最近は仕手株の取引で稼ぐヤクザもいる。もちろん失敗して組に損をさせれば、責任をとらされて大阪湾に死体となって浮かぶかも知れない。それがヤクザの世界の掟なのだ。

 政治家にもさまざまなシノギがある。談合のとりまとめや公共工事の口利きなどである。政治家はそのシノギによって大きな収入を得るわけだが、そこにあえて突っ込まないのが警察のお約束なのである。たまにニュースになってるのはそういうシノギ全体のほんの一部であり、小沢一郎なんてそうしたシノギをどれだけ持ってるかわからない。クリーンなわけがないのだ。田中角栄の系譜を引き継いでいる政治家がそのやり方をそのまま踏襲しているのは当たり前のことである。そういう非合法の収入源がある人たちをカタギとは決して呼べない。政治家をヤクザに分類できるのはこういう理由があるからである。


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07月01日(木)
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