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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■ブログで暴言を書くということ
 オレはここでかなり過激な暴言ブログを書いている。いちおうオレは江草乗という筆名で書いているわけだが、オレのスタンスはあくまで反権力、反アメリカ、反中国、反悪しき平等思想、反自民党政権、反イナカモンドリームである。罵倒する相手がそうした巨大なものである場合は、その内容がかなり過激であっても許されるとオレは考えている。オレがここでアメリカの悪口を書いたから突如NYダウが暴落するとかドルが下がるとかいうことはありえないわけである。書いたところでたいした影響力がないことは空しいことかも知れないが、だからこそ安心して書けるのである。

 あと、オレが自分に禁じてるのが、誰かのブログの内容を話題にして「こんなアホなことを書いてるヤツがいる」という類のものである。オレの内容を勝手にぱくってる盗作ブログを罵倒したことはあるが、オレと違った意見を述べているブログがあっても意見は人それぞれだから全く気にしない。そんなことにいちいち腹を立てても仕方がないのである。中にはオレの日記の内容を引用して「こんなアホもいる!」と書いてる方もいるが、オレはわざとアホなことを書いてるのである。世の中には洒落の通じないバカもいるのだなとオレは脱力しつつ読むだけである。

 オレの日記に付けているメールフォームには毎日のように感想や抗議のメールが来る。その比率は感想や激励が7に対して抗議が3くらいである。内容から考えてもっと抗議が多くても不思議ではないのだが。できるだけ返信するようにしているがメアドが間違っていて戻ってくるものもあるし、中には chinko@manko.comなどとありえないようなふざけたメアドを書いてあるのもあって返信しようがない。 「氏ね」などの一言メールも多い。 「おまえのような教師が日本をダメにしてるのだ!」と書かれたこともあるが、オレがそんなに影響力のある教師であるのならそれは一種の褒め言葉だろうと感謝して受け取ることにしている。

 暴言というのはひとつの言語遊戯であるとオレは思う。いかに読み手をうならせ、インパクトがあるコトバを対象にぶつけることができるかどうか、それが暴言の神髄である。昔オレがパソコン通信というムラ社会で遊んでいた頃、オレはよく罵倒相手に対して「おまえのようなクソ野郎は100回死にやがれ!」と罵倒した。もちろん人は1回しか死ねないわけでそんなことは現実には不可能なのだが、そのニフティサーブというムラ社会の中では、「100回死ね」というのが江草乗の決めゼリフとして認知されていたのでさして問題視されることはなかった。それは力道山の空手チョップやジャイアント馬場の16文キックみたいなものだったのである。公開の場で書いている今なら、同様の発言は「死ねとはなんという暴言だ!」と問題視されるだろう。だからオレはこの「死ね」という罵倒文句は死刑になるのがふさわしい悪党にしか使わないし、よほどのことがない限り使わないでおこうとふだんは封印してるのである。

 オレは今書いている暴言をもっと磨いてその技を高めて、いつか暴言の世界の頂点を極めたいと大それたことを思っている。「こいつ、なんてむちゃことを言うんだ!」と読者があきれながらも共感してくれる、そんな愛のある暴言を目指したいのである。それは限りなく困難なことかも知れない。かつてニフティサーブの掲示板で多くの罵倒合戦を戦い抜いて罵倒王の称号を得たオレが、日々日記を更新しつつ胸に秘めているのはそんなふざけたことなのである。そういうわけで読者のみなさん、今日もこのくだらない文章を読んでくださってありがとうございます。m(_ _)m

 そんなオレの確信犯的な暴言に比べれば、今回問題にされてる利府高校の暴言は本当につまらない情けない低レベルである。おそらく書いていた選手は、仲間内の交換日記程度の感覚だったんだろう。外部の者が見ていることなどちっとも考えなかったのだろう。それは暴言の内容云々の問題ではなくて、インターネットや携帯電話を通じたコミュニケーションについての教育に不備があっただけのことである。便所の落書きのような内容を、便所ではない公開のところに書いてしまったという愚かさである。


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03月31日(火)
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