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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■学ぶことの価値はなぜ失われたのか?
大学生の英語力が弱いから小学生に英語を教えるという。早期教育で解決するような問題ではないだろう。オレは日本人の英語力が劣ってるとは思っていないし、もしも日本の英語教育に本当に問題があるのなら、世界で活躍するビジネスマンも出なかっただろう。馬鹿まで大学に入れるから英語のできない連中も増えるのである。小学生のうちから英語なんか教えたらますます学力格差は拡大するだろう。もっとも文部科学省の目指す未来というのが受験生の格差拡大にあるのならば、英語の早期教育は実によい狙いである。中学に入ってからやってくる挫折を先に与えることができるからだ。東大や京大の英語の問題が求めてる能力は、英語力というよりはむしろ思考力や国語力である。日本語で読んでも難解な抽象的な内容を英語で読ませたりするのである。ふだんの生活で英語で考えるような生活を送っていない以上、そんな問題に対処する方法とはいかに意識のレベルを常に高次に位置させるかということに他ならない。今指導要領を改訂して小学生から英語を教えるとしても、そこで伝えられるのはテレビに出てるお馬鹿芸人が話してる内容レベルでしかない。そんなことではとうてい「知」は伝えられないのだ。
どうすれば「知」を尊ぶ風土を作ることができるのか。逆説的だがもっと競争させればいいのである。センター試験の成績上位者の出身校や名前はそれこそ発表してやればいい。甲子園球児たちがヒーローとしてもてはやされても、センター試験戦士たちの名前が報道されることはない。しかし、そこに価値はないのか?学びによって頂点を目指そうとすることがなぜ世間では「ダサい」こととされ、勉強のできる子がむしろいじめの対象とされてしまったりするのは、それこそテレビの「羞恥心」などのお馬鹿芸人に代表される馬鹿礼賛の風潮の表れではないのか。
文部科学省は大学院の定員を闇雲に増加させ、その就職口としてのお馬鹿大学を日本中に増殖させ、そこで教える多くの大学教員たちは薄給にあえぎながらも生活の糧を得るために馬鹿の相手をしている。学生たちは講義の内容などてんで理解する気はなく、隠れてメールを打ったりPSPやDSに興じたりしている。それが今の大学生の平均値的な姿である。本来安い労働力として労働市場に流出すべき若者は、大量のごくつぶし階級として親のスネをかじり続け、結果として社会全体を貧しくしてしまう。馬鹿しかいない大学のためにどれだけの補助金が支出され、どれだけの親たちのゼニが授業料や仕送りとして消えているのか。日本中に増殖した、誰でも全く勉強しないで入れるFランク大学というのは、「知」の意味をはき違えた文部行政の作り上げた巨大な不良債権なのである。おそらくそこには認可行政にまつわる利権が存在したと思われるが。
しかもそのFランク大学はもう一つの弊害もたらしている。それは大学の偏差値が下がれば下がるほど、そこに学生を通わせる親の平均収入も減るということである。偏差値の高い大学ほど親が金持ちであるということはよく知られているが、逆もまた真なのである。授業料という名の収奪が、貧しい親たちをさらに貧しくする。これは巨大な格差拡大システムなのだ。オレは子どもを無理してFランク大学に通わせるために破産した親たちを数多く見てきた。そんな大学が最初から存在しなかったら、これらの悲劇もまた発生しなかっただろう。
大学の価値が下がれば、大学生の価値も下がる。そうやって失われてしまったものを我々はどうやって取り戻せばいいのか。いかなる方法で大学生は「知」を取り戻すことができるのか。
世界恐慌が到来して日本経済もまた空前の不況に襲われることとなったこの2009年、おそらく労働市場は当分の間は冷え込んだままであろう。就職希望者にとっては大変な一年となることは間違いない。そこで求められるのは何か。就職というパスポートが得られないということになっても、学生たちは学ぶ意欲を失わないでいられるのか。就職するためだけに受験勉強をしてきた者たちにとって、それまでの努力がすべて否定される瞬間でもある。しかし、オレは彼らに言いたいのだ。
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01月01日(木)
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