ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
[18644612hit]

■信念の持てない行動ならば最初からするな!
 教師の中にはさまざまな思想信条を持った者がいる。それ自体をオレは否定しない。オレが最初に勤務した公立高校でもさまざまな思想信条の教師がいたよ。ウヨク教にサヨク教、体教(体育教師)、サボリ教、受験教などいろいろだった。オレは一度うっかり卒業アルバムでヘルメットにタオルで覆面という過激派の学生のコスプレをしたせいでかなり誤解されたよ。もしかしたらオレはゼンガクレン教に分類されていたのかも知れない。それでもいちおう学校としてのまとまりはあった。そうでないと仕事が回っていかないからである。

 ただ、式典は別だ。卒業式や入学式というのは少なくともひとつの伝統的なセレモニーであり、定められた手順に従って粛々と行われるべきモノである。そこで式典の流れをぶちこわすようなことはやっぱりまずいのである。その公立高校にはサヨクの先生が多かったこともあって、国歌斉唱はなかったと思う。国旗の掲揚もなかった。卒業式の国旗掲揚を校長が提案したときに、サヨクの先生方が職員会議でこぞって反対していたことを思い出す。オレとしてはなんであんな布きれにこだわるのかが解せなかったが。世の中にはパンティとかいう女性の下半身を覆った布きれのために命を賭ける馬鹿やそれを盗んで人生を棒に振る馬鹿もいるわけで、オレにすればパンティなんかよりもその中味の方がよほど大切だと思うのである。国旗も同様で、そんな布きれの存在云々よりも、その布きれがどんな意味を持つのかを自分たちがどのように認識し、もしもその布きれが過去に於いて侵略の旗印であった瞬間が仮にあったのだとしても、今は自由と平和、平等の旗印であるという共通認識があればいいじゃないかと思うのである。

 単なる布きれの連隊旗を田原坂の戦いで敵に奪われたことを恥じて乃木希典将軍は自殺しようとした。明治天皇はそれを許さなかった。明治天皇にはちゃんと大切なものが見えていたからである。たかが一枚の布きれよりも、それによって乃木希典将軍という一個の人格が失われることの方がはるかに大きな損失であるという常識的な考え方をお持ちだったわけである。

 それに国歌の「君が代」だって「君=天皇」と狭く解釈するからいけないのであって、「君=自分の大切な存在」と広く解釈することもできるのじゃないか。作者がどういう意図で作ったのかなんて今となってはわからないのである。江戸時代にはこの歌は一般的な祝いの席で祝歌として庶民に歌われていたらしい。婚儀の席で歌われるときは「君」とは新郎のことを指し、新郎の長寿と所帯の安息を祝い祈願する歌として用いられたそうである。だいたい昔の人にとって見たこともない天皇のことなんて誰も想像することもできず、「君」というのは目の前の人だったはずだ。そんな歌を何で目の敵にするんだ。

 上記新聞記事にある「不起立を理由に不利な人事評価を受けた」というのは具体的にどういうことだったのだろうか。まさか懲戒免職になったとかじゃないだろう。仮に処分があったにしても、それほど重い処分ではなかったはずである。しかし、これが民間会社ならば、そこで会社のルールに従わないとか、会社の式典で傍若無人な行動を取るとかいうことがあるならば、場合によっては解雇される可能性もあるだろう。そのことをわかった上でこの18人の方は発言されているのだろうか。オレはそれが知りたいのである。

↑エンピツ投票ボタン。押せば続きが読めます。登録不要です。←1位を目指しています! m(_ _)m      週刊アクセス庵もよろしく。

11月18日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る