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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■報道における正義とは何か?
オレはこの日記でくだらない万引き犯や痴漢を取り上げて話題にする。そのような記事を書きながらオレは思うのだが、本来オレが叩かないといけないのはこんなヘタレどもではなくて、もっと大きな悪なんだと。政治家や企業の巨悪を叩いてこそオレの日記の存在意義があるのではないかとオレは思うのだ。5年以上連続して毎日更新し続けることで少なくとも約5000の人が毎日オレの日記を読んでくださっているわけで、それはたった5000人かも知れないが、オレの訴える正義を理解してくれる(中にはオレの書く内容に対して反感を抱く方も多いだろうが)人が少なくともそれだけいるということは、まだまだ日本も捨てたものじゃないとオレは思いたいのである。
一教師としてオレが実際の仕事の上で影響を与えることができる対象となる生徒たちはほんのわずかである。彼らに対して正義を訴え、よりよく生きることをオレが説いたとしても、そうして伝えることができる相手はたかだか二百人程度である。オレのことをただの口うるさいオッサンとしか思っていない生徒もいるわけで、少しでも入学試験の偏差値の高い大学に入ることしか考えてない多くの生徒にとっては、正義なんてどうでもいいことなのかも知れない。オレの訴えはもしかしたら空しいのかも知れないが、だからといってオレはその訴えをやめるわけにはいかないのだ。
報道とは何か。正義を伝えるとはどういうことか。弱者の権利を守るとはどういうことなのか。オレは日記の中で生活保護の不正受給を叩く。すると必ず「あなたは弱者を切り捨てればいいと思ってるのか」と反論される。しかし、ルールを逆手にとって不正に給付をだまし取る糞野郎どもが果たして弱者と呼べるのか。弱者というのはそうした救済の手をさしのべてもらうこともなく、ワーキングプアという状況にあえぐ派遣労働者や非正規雇用の労働者たちなのだ。彼らの権利を守るための法改正や正規雇用の拡大という動きに対して、キヤノンの御手洗会長は傲慢にもそれらを踏みつぶし、消費税20%を目指して更なる政治献金を自民党に対して行っている。その政治献金も、外資の株保有が過半数を超える企業はできないという縛りがあったためにキヤノンは行えなかったわけだが、そのルールを変えさせたのも他でもない御手洗会長なのだ。
オレという一人の日記書きを抹殺することなど、権力者にとっては実に簡単なことなのだろう。もしもオレが毎日更新されるこの日記を続けることが突如できなくなり、この日記が更新されなくなってそのまま忘れられるとすれば、それは何らかのアクションがオレに対して起こされたことを意味するのである。そのような事態が絶対に起きないとは言えない。過去にもオレに対するさまざまな政治的圧力は存在した。たとえばオレは大阪府の乱脈財政や明らかな不正、税金の無駄遣いに対してこの日記で多くのことを書いてきた。もしも「こんな大阪府の悪口ばかり書く糞教師がいる学校には補助金を与えない」などという恣意的な政治的決定がなされるとしたらどうなるのか。オレは日記をやめるか教師という職業をやめるのかという二者択一を迫られるわけである。オレは家族を路頭に迷わすわけにはいかないのだ。いちおうオレの日記にはさまざまな広告が付いているが、少なくともそこから得られる収入はせいぜい帰りにちょっと買い食いができる程度であり、オレの生活を支えるのはとても無理である。
もしもサイトから得られる収入だけでオレが食べていけるのならば、オレはたっぷりと時間を手に入れることができる。もっと自由な立場で取材し、企業や政治家の悪を暴露し、もっと内容のある日記を書くことが可能になるだろう。それは読者数が今の100倍くらいになれば可能かも知れないし、50万人が毎日読むというWEB日記がもしも存在すれば大手出版社の週刊誌以上の影響力を持つことは間違いない。それは日本の政治を動かす存在となるだろう。オレが正義をここで訴え続けた先に見つめているのはそんな未来なのだ。どうかオレの職業を「暴言コラムニスト」として自立させて欲しいのだ。そのために必要なのはやはり一人でも多くの読者が応援してくれることしかない。
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12月31日(月)
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