ID:40506
サッカー観戦日記
by T.K.
[4378015hit]
■J3最終節 熊本−岐阜 並びに遠征記
翌朝、ホテルバイキングを自室に持ち帰り食べてから路面電車で熊本城に行く。入り口に加藤清正像がある。有力な戦国武将を持たなかった熊本にとって秀吉の配下で賤ケ岳の7本槍の一人・加藤清正がご当地ヒーローなのか、と思った。城は地震で大きく崩れた。入り口からまっすぐ上がれないので、逆側に大回りするとあちこち工事中でいまだ修復ただなかということが分かる。天守閣は2つの建物が重なった形で、大きいほうに入れる。靴のままカーペット敷きの建物に入り加藤清正の街づくり、西南戦争での役割、明治期の学校利用やら、大日本帝国の軍事利用などに触れて震災後の復旧に触れ、一番上から見下ろして終わり。途中急階段が何度もあった。黒塗りで急峻な石垣がある。
城を出て桜町バスセンターに向かう。案内所でロアッソのスタジアムへの行き方を尋ねるが、ガイドさんは分かってない。とてもプロとは思えない。こちらから情報を教えてから尋ねて、結局発着場の位置だけ教えてもらったようなものだった。こんなレベルの低いガイドしかバスセンターにいないあたり、きわめて不安である。J2はアウェイサポが多い。とてもガイドできるとは思えない。
バスで40分ほど東に向かい、あらかじめ調べたバス停でおり、20分余り上り坂を進むとえがお健康スタジアム。典型的な国体陸上競技場である。つまり国体開会式以外では国体陸上競技でも、もちろんその後の陸上競技でも観客が入らず、サッカー会場としては入退場も困難なら、もちろん見づらいという最悪で使い勝手の悪い会場。日本人も税金で野球場と国体陸上競技場を作るという愚かな習慣を作ったものである。着いてみると観客が異常に多い。スタグルが困難なのだ。ネットでの知り合いとリアルでお会いすると、馬肉カレーとビールだけは買えたが、その時点で行列が長く、とてもスタグル買えなかった。そして入場困難。通路が狭く、観客を詰め込むだけで入退場を考えていない典型的な国体陸上競技場らしい。通路も少ない。そしてこの日は実は1万1千人入っていた。何せ勝てばJ2昇格だ。初めて来た、という声があちこちで聞こえた。ネットも困難でツイッターがあまりつながらなかった。スタンドの座席がもとより赤いこともあるが、相当な熱気だった。
さてゲーム。ロアッソは3バック中央に菅田真啓、右に黒木晃平、左に小笠原佳祐、ウイングバックは右に杉山直宏、左に岩下航、ボランチに河原創、右上がり目に上村周平、攻撃的には左に竹本雄飛、シャドーに伊藤俊、1トップ煖エ俊樹という布陣。立ち上がり、なにもかかってなくてリラックスしている岐阜が落ち着いて回し押し込むが、気迫に勝る熊本が決定機は作らせない。菅田は高さがあり跳ね返せる。小笠原はフィード、黒木がカバーに長けた印象。岩下が右利きで必ず切り返すが失わない選手。杉山はタテに行く。河原は攻守の中心で対人に強く、セットプレーも蹴り、菅田とともにセンターラインを固める。竹本は立命大時代はプレーが軽いイメージだったが、プロレベルで戦える選手に化けた。上村はハードワーク、伊藤がどんどん飛び出し、そしてセンターラインの一人、煖エは空中戦に強くキープでき、プレスバックして守備もさぼらない。
何より熊本はスカウティングでのし上がったチームである。関東・関西・九州の有力大学生と契約し、若くして使い頭角を現せた。以前関東大学リーグのファンや関係者は、関東大学サッカーのほうが
J2よりもレベルが高いとうそぶいていた。明らかに間違っていたが、そういう人はだれの目にもレベル差が明らかになるまで気づかないものである。そしてそれは現在、J3よりもレベルが高いという表現に変わっている。それは崩れた一部のチームを除き間違っている。が、もちろん関東大学サッカーのファン・関係者は気づかない。
で、近年、有力選手が即J1に入るケースが激減し、J2も減り、J3入りが増えた。大卒選手にとってはすぐの実戦経験が必要である。そういう意味でJ3は大学トップクラスにとって魅力的な場所になってきた。
[5]続きを読む
12月05日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る