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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■デビュー前夜の金城武A
金城武は1つの例にすぎないA
陳昇(ボビー・チェン)はこんなふうに心を動かされるものを感じたので、
金城武が芸能界でずっと活動できることを願い、
喜んで参加し、この若者と一緒に仕事をしていこうと思った。
幸い、レコード会社はアルバムを出す期限については何も言わなかったので、
プレッシャーのない状態で、準備に1年余りをかけた。
そしてこの1年余りの間に、金城武は非常によい勉強の機会と
成長の場を与えられたのだった。
金城武は、ふだん仕事がないときはいつも「新楽団」にいて、
使い走りをしたり、雑用を手伝ったりしていた。
まるで他の職業での修業と同じように、丁稚≠ゥら始め、
陳昇や黄連との間に、一種の固い師弟関係を育んでいった。
陳昇は、みんな金城武をアニキと呼んでいると言った。
アニキとは「老大(ラオダー、長男)」の意味である。
金城武という少年は、実際、大変面白い人間だったからだ。
人々は彼には素質があると気づいた。
非常に高く評価される創造力だ。
この、音楽を全く知らなかった男は、ギターを弾き、ピアノを奏で、
さらには自分で作曲までするようになった。
今回、彼らは能力の限りを尽くし、どんなアイドル歌手たちとも違う製作方法をとった。
陳昇は、台湾のこの年頃の少年の、
あの、まだ無知でもあり、力もある状況を活写してみせた。
10代の若者なら、必ず世界とは何ぞやを追求するわけではない。
自分の感情や生活が彼らには1番重要なのだ。
本当に大きな現実にぶつからないうちは、
たとえ失敗しても、避けられない挫折として真剣にぶつかっていくだろう。
それゆえ、このアルバムでは、やはり愛について語らねばならないし、
少年の心をきちんと描き出さねばならない。
歌詞には今の若者の生活のあらましが、
学校や家庭から若者達の活動空間まで、
北京語から台湾語まで、適切に表現されていた。
陳昇の考えでは、CDは社会の公器であり、
どのCDにもそれを出した責任があるのだった。
彼らがレコード会社を一番悩ませたのは、
商業的ブランドからはみ出したやり方をすることだった。
というのも、彼らは、今流行しているものとは別に、
潜在的な流行というものが存在しうると考えていたからだ。
だから、今回、このアルバムで起用された、黄韻玲や李正帆のような編曲者は
今日最も理想主義的な色彩を持った音楽スタッフで、
その1人、韓美強はまだ芸術学院在学中だった。
彼らは金城武の感覚に合わせて仕事を進め、
決していわゆる通俗的流行に迎合しなかった。
レコーディングでは、金城武は同じ歌を1回1回通して繰り返し歌った。
今の歌手が、録音室で1節1節いい部分を切ってつないで
作り上げるようなやり方はとらず、
飾らない本物の効果を期待したのである。
というのも、陳昇は、金城武はそれをやれる歌手であり、
非常によく歌えると見ていたからである。
もしも金城武をどうしても「アイドル」として見るなら、
この少年は非常によい条件を備えているというに過ぎない。
その才能の部分を見落とさせてしまえる顔を生まれもっているのだから。
金城武は、まだ19にもならず、今年の夏、正式に芸能界にデビューする。
その時が来るまでは、彼はまだ1人の普通の男であり、
所属事務所の采配のもと、スケジュール通りに歌のレッスンをし、
ダンスの訓練を受け、自己をきたえ、
未来のすべてに向けて準備を終えようとしている。 (完)
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BBS 22:35
01月12日(月)
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