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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■「十面埋伏」とアニタ・ムイA(新聞晨報)
武がほとんど姿を現さないこともあってか、怪我が悪化したと、
またニュースが出ているようです。
しかし、かつて出されたというフーロンのマネジャーのコメントに信を置くなら、
こう言うしかありません。
「無い傷は再発しない」

とにかく月末にはクランク・アップすると言っているのですから、
多少の揺れはあれ、あとわずか。
静かに待つしかないのじゃないでしょうか。

アニタと「十面埋伏」の記事、2回目で完結です。

***********

病気になって、彼女はにこやかに尋ねた。
「あなた方はそれでも私を使いますか」

けれども、世の事は予測できないものだ。
2003年9月5日、アニタ・ムイは記者会見を開き、
自分が子宮頸ガンにかかっていることを公表した。
ニュースは「十面埋伏」製作部に届き、みな不意打ちを食らった思いだった。
すぐアニタ・ムイが自ら電話をかけてきた。
「病気がガンだということはわかっています。
みなさんは、それでも私を使いますか?
今の健康状態はまだ大丈夫ですが、この病気はけっこう厄介です。
気になりはしませんか?」

張偉平は答えた。「がんばれると思いますか?」
アニタ・ムイはちょっと笑って、「できると思います」と答えた。
チャン・イーモウと江志強は、代役は全く考えない、最後までアニタ・ムイを待つと表明。
その間、アニタのマネジャーは製作部と密に連絡を取り合い、
アニタの病状は一定しないが、「十面埋伏」出演には十分自信を持っていると伝えてきた。

歓迎記者会見キャンセル

アニタ・ムイの体調を考えて、「十面埋伏」の彼女の出番は、
すべて北京と永川で撮影するよう手配された。
張偉平は2003年12月8日に北京でアニタのために、
盛大な参加歓迎式典を挙行することを決めた。
マスコミへの招待状は全て印刷し終わっていた。
ところが12月5日、張偉平は突然記者発表会を中止した。

当時明らかにされた理由は、撮影計画の変更だった。
しかし、数日前、記者がインタビューしたとき、張偉平は率直にこう語ったのだ。
「それは、表向きの理由ですよ。
本当はアニタ・ムイのマネジャーが電話で、
アニタは日本でのCM撮影から帰ってきてから、調子は最良とは言いがたく、
少し休息が必要だと言ってきた。
私達はマスコミを騒がしたくなかったから、原因をそう言うしかなかったんです」

張偉平は、「十面埋伏」はずっとマスコミをシャットアウトしてきたのに、
大げさな歓迎式をやろうとした理由は、アニタを喜ばせたかったからだと話す。
「マスコミが書き立てる出演辞退の記事は、
アニタの大きなプレッシャーになっていました。
彼女はにぎやかなのが好きな人でしたから、私はにぎやかな雰囲気を造って、
彼女に病魔に打ち勝つという自信を強めてほしかったのです」

悪い事態の予感

記者会見中止後も、製作部はなお、アニタ・ムイの一刻も早い回復を待ち望んでいた。
2003年12月中旬、張偉平は「十面埋伏」関連の仕事で日本に行った後、
すぐ香港に向かい、アニタ・ムイを見舞ったが、会うことはできなかった。
マネジャーが、アニタ・ムイの体調は最良ではなく、
面会はできないと話したと、張偉平は言う。
製作部は、すでに状況はあまり良くないかもしれないと感じていたが、
マスコミには依然として、アニタは辞退しておらず、待っている最中だと言い続けた。
「今になってみると、それはひそかな励ましと、望みであったのですね」
と、張偉平は言う。
12月24日、張偉平は電話をかけ、
アニタにクリスマス・イブの祝いを伝えたいと告げたが、
マネジャーは、アニタは病院で治療中であり、電話に出るのは難しいと答えた。

永川で、協和病院1番の医師を頼む

2004年1月6日、永川、アニタ・ムイ参加の予定日。
アニタがスムーズに撮影班に加われるよう、
張偉平は協和病院の医師を特別に頼み、
専任の調理師をそろえ、チャーター機を準備した。
チャン・イーモウも、アニタのために、

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01月10日(土)
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