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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■りえは金城武を忘れない(2000年の新聞記事●1999年、台湾を訪れた宮沢りえ )
りえは金城武を忘れない(2000年の新聞記事
昨日、「聖夜の奇跡」を久しぶりに見ていて、そういえば、武君が宮沢りえのことを、
自分と似ているところがあると言っていたなと思い出しましたが、
それが日本語で読んだのか中国語で読んだのかわからなくなっていて、
あるはずの資料が探せませんでした。
2人ともハーフで、若いときから芸能界に入って、
いつも自分より年上の人ばかりの間で仕事をしてきたということから、
武はりえに自分と近いものを感じていたらしいです。
そういうこともあってか、2人は良い友人としての関係を保っているみたい。
「運転手の恋」出演のため、2000年春に3度目の訪台をした宮沢りえは、
台湾の思い出はそれほどないが、友人の金城武が食事に連れて行ってくれたことは、
ずっと忘れずにいた……と、記者が報じたことがありました。
(民生報 2000.3.6 より)
台湾の新聞は、宮沢りえにはとても好意的です。
外見から性格、雰囲気にいたるまで、いつもほめています。
その1999年に、次回はさかのぼってみます。
ところで、今回見直して気がついたのですが、
芝居の中心が相手役に移っているとき、彼はすごくいいリアクションをするんですね。
宮沢りえが、感情の変化を表情やしぐさなどだけで表す、非常に内的な演技をしているとき、
その合間合間に武の表情がインサートされることで、宮沢りえの演技に厚みがつく、
というか、いっそう真実らしくなる。それをすごく感じました。
例えばこれを、「神様、もう少しだけ」で言うと、深田恭子の演技は、新鮮だったけれども、
あの精いっぱい、一生懸命の芝居を受ける「啓吾」役が、
もし下手な役者、あるいは演技過剰の役者だったりしたら、どうだったろう。
どっとウソくさく、芝居がかったものに見えたのじゃないだろうか。
自分の役を「上手に」やるだけでなく、相手の演技に真実味を与えていく――
それも、そうと気づかせないさりげなさで。
うすうす感じていた、そんな彼の良さ・凄さが初めてはっきり見えた気がしました。
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1999年、台湾を訪れた宮沢りえ - 1999年の台湾の金馬奨に、宮沢りえはプレゼンターとして招かれました。
12月初めの台湾紙は、宮沢りえは3日間滞在、プレゼンター役を務めるだけでなく、
報酬は9月の震災復興のために寄付する心積もりでしたが、
金馬奨の予算が限られているのを知り、無報酬で出演することにしたと伝えています。
また、出席に当たって、前もって本人の写真、フィルモグラフィー、
身長、血液型から靴のサイズまで、基本資料を送ってきましたが、
TVBSはそのプロとしての態度に感服すると同時に、
スターぶらない人であることがよくわかったといいます。
宮沢りえへのオファーは、友人である金城武の縁を通じて行われました。
りえと武は「聖夜の奇跡」「神様、もう少しだけ」の共演で友情篤く、
今回、武の事務所が金馬奨の盛典の製作担当であり、
りえの連絡先電話番号も知っていたことから、
この縁を通じてTVBSがりえに電話をして承諾を得たものです。
授賞式では、それぞれフェイ・ウォン、ジャッキー・チェンと組み、
同じ舞台には上りませんでしたが、
この両組ともユーモアあふれる司会ぶりで、とても楽しかったです。
りえ&ジャッキーも機会があったらぜひ見てほしいです。
カンペを見ながらのりえのたどたどしい北京語のあいさつを、
ジャッキーが横で北京語(!)に通訳するなど、とってもいいコンビぶりでした。
以下、民生報の記事から抜粋。
「宮沢りえは金城武をいつまでも忘れない。
昨日、宮沢りえは晴れやかな顔で台湾に到着したが、
スタッフに、昔からの友人の金城武に会えるかどうか、
授賞式では彼と一緒に座れるかどうかと何度もたずねていた。
彼女は人見知りする方なのだ。
金馬奨授賞式プログラムプロデューサーの侯文燕は、宮沢りえは貴賓であり、
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07月14日(月)
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