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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■「君のいた永遠」と台湾大地震●RE:「君のいた永遠」(心動)・ジジのMTV
「君のいた永遠」と台湾大地震
15日の民生報で、香港の映画会社メディアアジア・フィルムズについて書いてあるなかに、
「心動(君のいた永遠)」の公開時のことがあり、懐かしかったので、ちょっと。
シルビア・チャンと3大若手スターの共演による大注目作。
早くから、多種多様なプロモーションが行われていた「心動」ですが、
ご存知のように、香港でプレミアが華々しく行われ、
引き続いて台湾でも行われようとした矢先、大地震が起きてしまったのでした。
1999年は、夏にエリクソンのCM第1弾ラーメン編、第2弾心のコミュニケーション編が
続いてオンエアされ、ポスターは盗まれるわ、売れすぎて欠品を起こすわ、
そして秋の「心動」で、ある意味、台湾での金城武の人気が絶頂に達した年でした。
7月に初めての台湾行きを実現した私も、武バスには何台も遭遇し、
テレビでラーメン編を目撃しました。
向こうで知り合いもでき、ですから、その秋の大地震は本当にショックでした。
通勤時に隣の人の夕刊紙で地震の起きたことを知ったのですが、
台北が全部瓦礫になってしまったのではと、絶望的な気持ちになったほどです。
そういう意味でも、思い出のある映画です。
*********
「心動」は資金面はもちろん、キャスティングにも苦労を重ね、
シルビア・チャンは、何度も製作をあきらめようかと思ったほどだった。
後に、メディアアジアと日本の資本との共同製作となり、
ようやくこの初恋をめぐる恋愛映画は完成をみた。
香港ではこの種の作品はあまり受けないが、台湾ではある程度の結果が見込めたため、
全力をあげて前売を推進した。
9月21日の早朝、シルビア・チャンは、台湾でプロモーション活動を行うべく、
勇躍飛行場へと向かおうとしていた。
そのとき、メディアアジアから緊急電話が入り、ストップがかかった。
台湾で大地震が発生し、大混乱に陥っているというので、
すべてのプロモーションは取りやめとなったのである。
「心動」は地震とまさに鉢合わせしたのだ。当時、台湾中が停電の危機にあるなか、
主演男優の金城武はすぐ飛行機で台湾に到着し、
プロモーションが中止になると、家族のもとに駆けつけた。
宣伝活動ゼロの状態で、台湾中に悲痛な空気の立ち込める状況のもと、
「心動」は公開されたのである。
初日、公開劇場である中国戲院には長蛇の列ができていた。
すぐに、さらに2つの劇場での公開が決定された。
メディアアジア台湾支社では全社員が映画館に出向し、モギリの手伝いをした。
映画館は熱気に包まれていた。メディアアジアのスタッフは、それを、
「中国戲院の一番前と左右両端の席は30年間埋まったことがなかったのに、
どんな悪い席でもびっしりだ」と表現した。
地震により、台湾の建物は多く倒壊し、多数の死傷者を出した。
国中で災害救助に奔走している状況で、
「心動」はなんと5000万台湾元を越える成績をあげたのである。
これは中国語映画が久しく記録したことのない好成績であった。
台湾での結果は香港に伝えられ、香港の興行成績に大きな影響を与えた。
香港のメディアアジアはこれを、前売りが好調であったことが、
大地震の影響を受けずにすんだ理由だろうと分析している。
シルビア・チャン映画の評判が伝わり始めると、当然観客は増えていき、
香港の興行をも動かした。
シルビア・チャンが「心動」の企画を進めていたとき、
3人のスター、金城武、ジジ・リョン、カレン・モクはいずれも俳優兼歌手だった。
主題歌をだれに歌わせてもきしみが出るので、シルビアは映画には主題歌を使わず、
この感動的な繊細な物語には、映画音楽のみを配することにせざるを得なかった。
当時、すでに秘密の契約が結ばれていたという。
それはもし主題歌を作るなら、歌うのはジジ・リョンでなければならない、というものである。
後に、シルビアは黄韻玲が作曲した映画音楽に心を動かされ、
歌詞をつけ、シノ・リン(林暁培)に歌わせることにした。
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06月18日(水)
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